アフガニスタン東部,ジャララバード南方約8kmにあり,2~7世紀のナガラハル国(那掲羅曷国,那竭国)の町醯羅(けいら)城のあったところ。その歴史は明らかでないが,玄奘によると,城中には如来の頭頂骨,髑髏骨,眼球をまつったストゥーパのある2階建ての高楼があり,その頂骨は特に名高く,多くの仏教徒の巡礼の目的地であり,ハッダの名もサンスクリットのhiḍḍa(髑髏)に由来したという。19世紀にイギリス人らが調査し,1923-28年にフランス考古使節団のA.フーシェやJ.バルトゥーにより大寺院跡7が発掘された。それら寺院跡は現ハッダ村の南から西にひろがるレキ岩台地の上下に約2kmの範囲にわたって密集し,平地に塔院や僧房を建築したもの,丘上に塔院,丘崖に僧房窟を開いたものなど,諸型式がみられる。フランスの調査では多数出土したスタッコ像に重点をおいてハッダ芸術を喧伝したので,ガンダーラやタキシラのスタッコ像と共にインド・アフガン派という流派も提唱された。しかし,ハッダではガンダーラと同じく片岩製仏像も多数製作されていた。また66-78年にアフガン考古研究所のC.ムスタマンディやZ.タルジが発掘したタパ・ショトルでは,塔院の祠堂群や僧房の壁龕(へきがん)で塑像の優品が出土し,ハッダの仏教芸術の複雑な様相が明らかにされている。
執筆者:桑山 正進
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アフガニスタン東部のジャララバード南方に位置する仏教寺院址(し)。クシャン朝の栄えた3世紀を中心とするものが多いが、8世紀代まで建造は続いていたらしい。玄奘(げんじょう)の『大唐西域記(だいとうさいいきき)』に那掲羅曷(ナガラハーラ)国(ジャララバード)の南界に醯羅(けいら)城があったとしているが、これがハッダにあたる。玄奘は、この城の中に二重楼閣があり、如来(にょらい)の頂骨を安置したストゥーパ(円塔)があることなどを記している。19世紀にイギリス人が調査をしているが、本格的な発掘は1920年代に入ってからのフランス隊によるもので、東洋学者フーシェらによるタパカラーン寺址、チャヒリ・グンディ寺址、ガール・ナオ寺址の調査がよく知られている。多くの寺院、ストゥーパ、ストゥッコ像(石膏塑像(せっこうそぞう))が発見されているが、ハッダにおけるストゥーパの編年は、ガンダーラ建築史の研究に大きな貢献をしている。
[寺島孝一]
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アフガニスタン東南部,ジェララバード近郊の仏教遺跡。多数の仏塔,僧院跡が現存する。中国巡礼僧も多くここを訪れた。1920年代にフランス調査隊が調査し,美しいストゥコ仏像(4~5世紀頃)を発掘し,有名となった。
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