バノックバーンの戦い(読み)バノックバーンノタタカイ(英語表記)Battle of Bannockburn

デジタル大辞泉 「バノックバーンの戦い」の意味・読み・例文・類語

バノックバーン‐の‐たたかい〔‐たたかひ〕【バノックバーンの戦い】

1314年にスコットランド王ロバート1世が、スターリング城南東のバノックバーンで、エドワード2世の率いるイングランド軍を破った戦い
[補説]イングランドはスコットランドに対する支配権を失い、スコットランド王国は、1320年、アーブロース修道院独立を宣言した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バノックバーンの戦い」の意味・わかりやすい解説

バノックバーンの戦い
バノックバーンのたたかい
Battle of Bannockburn

1314年6月23~24日,ロバート・ブルース率いるスコットランド軍がエドワード2世指揮下のイングランド軍を撃破し,スコットランドの独立を奪い返した戦い。この戦いでブルースはロバート1世ブルースとして正式に王位についた。この頃までにイングランド軍はスコットランド全土から一掃されていたが,唯一の例外がスターリング城だった。エドワード2世が城の救援のために集めた大軍を迎え撃つため,ブルースはまずトーウッドに,次いでスターリングの南 2~3kmに位置するニューパークの森に軍を集結させた。ほとんどが槍兵で構成されていたスコットランド軍は,地形を巧みに利用して,歩兵騎兵からなる 3倍の兵力のイングランド軍を打ち破った。イングランド軍はバノック川とフォース川の間の狭い一帯に閉じ込められ,人馬が効果的に動き回れず,ギリースの丘を下って押し寄せた約 2000のスコットランド軍の突撃を受け,敗走した。エドワード2世はいったんダンバーに逃れ,そこからイングランドに戻った。スコットランド人はこの戦いをスコットランド独立戦争の頂点と見なしている。敗北衝撃を受けたイングランドは,スコットランド式の歩兵戦術を採用し始めた。またこの戦いはクールトレーの戦いと並び,ヨーロッパにおいて歩兵が戦場主役となる新しい戦術が広まるきっかけとなった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android