日本大百科全書(ニッポニカ) 「パルマ(イタリア)」の意味・わかりやすい解説
パルマ(イタリア)
ぱるま
Parma
イタリア北東部、エミリア・ロマーニャ州パルマ県の県都。人口15万6172(2001国勢調査速報値)。ミラノとボローニャを結ぶ交通の要衝。豊かな農業生産と同時に、中小規模ながら食品工業が発展、とりわけパルメザンチーズの本場として知られる。イタリア、バロック絵画の先駆者として16世紀に活躍した画家コレッジョの作品が、大聖堂やサン・ジョバンニ・エバンジェリスタ教会などにみられる。指揮者トスカニーニの生地である。
[堺 憲一]
歴史
紀元前4世紀なかばまでエトルリア人がこの地に定住していたが、ローマ時代に商業の中心地、毛織物の産地として発達した。ゴート人、フン人により破壊されるが、テオドリコ帝の治世下にビザンツの都市として再建され、とくに公金保管所のあったことで知られる。中世に司教領からコムーネ(自治都市)になり、フェデリーコ2世に抵抗するほどの実力を有した。現在の市の中心部はこの時期に建設された。1322年独立を失い、以後、教皇庁、ビスコンティ家(1346)、スフォルツァ家(1449)の支配下に入るが、経済的発展は停滞しなかった。1545年公国となる。だが政治的中心はピアチェンツァに移され、パルマはもっぱら居住都市として美化に努められ、またここに音楽文化が開花したのもこの時代である。18世紀なかばブルボン家が、ついでオーストリアがこの市を統治するが、1814年ナポレオン軍が占領、ナポレオンの二番目の妻マリ・ルイーズが、1860年イタリア王国に併合されるまでここを治めた。
[在里寛司]