ビシュヌ派(読み)ビシュヌは

改訂新版 世界大百科事典 「ビシュヌ派」の意味・わかりやすい解説

ビシュヌ派 (ビシュヌは)

ヒンドゥー教の有力な一派で,ビシュヌViṣṇu神,ないしそれと同体異名,あるいは化身とされる神を最高神として崇拝する。サンスクリットではバイシュナバVaiṣṇavaという。元来ビシュヌ神は,ベーダの宗教にあっては,数多くある太陽神の一つにすぎなかったが,やがて,各地の土着のさまざまな最高神(およびその神妃)との習合を重ね,ついには,シバ神と並んで,ヒンドゥー教最大の神へと転身していった。ビシュヌの最も顕著な特徴は化身である。悪神アスラがはびこり,この世が不正義に圧倒されるようになると,ビシュヌはさまざまな神格として地上に現れ,正義を回復すると考えられた。このため,ビシュヌはさまざまな名で呼ばれ,伝統的には千の異名を有するとされる。そして,その異名の多くはかつての各地,各部族の土着の神の名だったと考えられる。

 この派は,おおまかには次の二つの派に分けられる。

(1)バーガバタ派 最高神を〈バガバッドBhagavad〉の名で崇拝するためにこの名がある。この神は,具体的には,古くはバースデーバ,後にはクリシュナ,ないしビシュヌと称せられている。この派の成立をめぐる歴史的経過は相当に複雑であるが,おおよそ次のように考えられている。元来クリシュナはバラモン教の外で,北インドの遊牧の民ヤーダバ族が崇拝する尚武の戦略家,英雄であり,母の名をデーバキーといった。このクリシュナ崇拝に,別の一族であるブリシュニ族がもっていたバースデーバ崇拝が混交され,さらに,アビーラ族が伝える牧主(ゴーパーラGopāla)の宗教が統合され,強大な一宗派が形成された。そして,仏教などの非バラモン教的な宗教の隆盛に危機感を抱いた正統派のバラモンたちは,その宗派の神を,ベーダの太陽神であったビシュヌと同一であるとして,みずからの勢力の拡大の手段とした。ここにヒンドゥー教の有力な一派としてのバーガバタ派が成立したのである。この派では,ビシュヌの化身(アバターラavatāra。権化とも訳される)ということが強調されている。後世有名なのは〈10化身〉説で,それによれば,ビシュヌはこの世に,魚,亀,野猪,人獅子,小人,パラシュラーマラーマ,クリシュナ,ブッダカルキとして現れるという。なかでもラーマとその妃シーター,クリシュナとその妃ラーダーは,しばしば文芸の対象になり,広くインド全土で熱烈に崇拝されてきた。この派の存在は,前5~前4世紀以降の文献などによって確かめられるが,その教義がまとまった形をとったのは,叙事詩マハーバーラタ》の一部に組み込まれている《バガバッドギーター》においてである。また,この派に関連の深い文献としては,《マハーバーラタ》の付編として扱われている《ハリバンシャ》,および《ビシュヌ・プラーナ》《バーガバタ・プラーナ》などのプラーナなどがある。この派の神学はベーダーンタ派の哲学に基礎づけられることが多く,その神学別に,さらにマドバ派,ビシュヌスバーミン派,ニンバールカ派,バッラバ派,チャイタニヤ派などの支派が分岐した。

(2)パンチャラートラ派 バーガバタ派がバラモン教的な色彩を濃くもつのに対して,この派はタントラ的(タントラ)なビシュヌ教を説き,ナーラーヤナNārāyaṇaとしてのビシュヌ,およびその神妃であるラクシュミーLakṣmī(吉祥天)を崇拝する。成立の過程はあまり明らかにされていないが,この派の聖典(108典あると伝えられる)は7世紀ころから作成されるようになったと考えられている。《サーットバタ》《パウシュカラ》《ジャヤーキヤー》という三つの本集(サンヒター)が三宝として尊重されているが,そのほかに,《アヒルブドニヤ・サンヒター》《ラクシュミー・タントラ》が有名であり,秘儀的な祭式の細かな作法が述べられている。これらの聖典に説かれている教義は必ずしも整合的なものではないが,バーガバタ派の化身説に対応するものとしては,バースデーバ,サンカルシャナ(あるいはバラデーバ),プラディユムナ,アニルッダの4者を数える顕現(ビユーハvyūha)説がある。これらすべては,六つの属性(叡智と5種の力)をそなえたビシュヌ(バースデーバ)にほかならないが,そのうちの二つずつが顕現してサンカルシャナなどになるとされる。この派は,南インドのタミル地方で,バクティ(神への絶対的な帰依,信愛)の念にあふれた宗教詩を熱烈に歌いながら寺から寺へと渡り歩いたアールワールと呼ばれる一連の神秘主義的詩人たちの活動を基盤にして,シュリーバイシュナバ(シュリーとビシュヌ)派を生み出した。この派からは,有名な哲学者ラーマーヌジャが現れ,この派の教義をベーダーンタ哲学として整備し,シャンカラの不二一元論に対抗して被限定者不二一元論を唱導し,バクティを解脱への道の最高の手段とした。
クリシュナ →ビシュヌ
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビシュヌ派」の意味・わかりやすい解説

ビシュヌ派
びしゅぬは
Vaiava

シバ派と勢力を二分するヒンドゥー教の一派で、最高神ビシュヌ神とその神妃、化身を崇拝する。とはいえ、現実には、単一のビシュヌ派というものはなく、おびただしい数の派があって、それが全体としてビシュヌ派とよばれているにすぎず、その歴史的経緯は非常に錯綜(さくそう)している。まず、もっとも古い派としてはバーガバタ派があげられる。この派は、古くは最高神をバガバッドとよんだが、やがて、バースデーバとも、クリシュナとも、ビシュヌともよぶようになった。元来ビシュヌ神とは関連がなかったが、しだいにビシュヌ派となっていった過程を、その複雑な名称が暗示している。この派の成立は紀元前5、4世紀とみられ、その教義は『バガバッド・ギーター』のなかに盛り込まれていると考えることができる。また、後代のプラーナ文献としては、『ビシュヌ・プラーナ』『バーガバタ・プラーナ』がこの派のものであるとされる。この派からさらに派生したものとしては、一見多元論とみられる独得の一元論を説いた南インドのカルナータカの出身のマドバを開祖とするマドバ派、ビシュヌスバーミン(13世紀)を開祖とするビシュヌスバーミン派、牧人クリシュナとその愛人ラーダー(ラーデイカー)の崇拝を、本質的不一不異論ベーダーンタ派の教義のうえに基礎づけたニンバールカ(14世紀?)を開祖とするニンバールカ派、南インドのアーンドラ地方出身で、純粋不二一元論を説き、北インドのクリシュナ神崇拝の聖地ブリンダーバンを本拠地にして活躍したバッラバを開祖とするバッラバ派、東インドでクリシュナ、ラーダー崇拝を広め、不可思議不一不異論を唱えたチャイタニヤを開祖とするチャイタニヤ派などがある。このバーガバタ派の流れに対して、重要な位置を占めるのがパンチャラートラ派である。この派はナーラーヤナを崇拝し、タントリズムを基調としていることを最大の特徴とし、おそらく7世紀ころから聖典を作成し始めたとみられている。バーガバタ派とその系統が化身ということを説くのに対し、この派では顕現(ビユーハ)ということを説く。パンチャラートラ派は、やがて、南インドのタミル地方で流行したシュリーバイシュナバ派に影響を与え、この派から、被限定者不二一元論を唱えたラーマーヌジャ(12世紀)を開祖とするラーマーヌジャ派が派生し、ここから出たラーマーナンダによって、北インドに、ラーマ派とも称せられるラーマーナンダ派などの各派が生じていった。

[宮元啓一 2018年5月21日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビシュヌ派」の意味・わかりやすい解説

ビシュヌ派
ビシュヌは
Vaiṣṇavism

ビシュヌを主神として崇拝するヒンドゥー教の一派。神から恩恵を得るために要求されることは,他心なく一切を神にゆだね尽す,人間的にしてかつ崇敬的な信愛 bhaktiを中心とする。文芸を通じて,ビシュヌを叙事詩の英雄クリシュナと一体化する,熱烈な信仰であるバクティの運動が起り,7世紀から 10世紀まで同運動の詩人たちは南インドの各地の寺院を遍歴してこの信仰心を賛歌の形で民衆の前に吐露した。『パーンチャラートラ・サンヒター』を聖典とする 11世紀のラーマーヌジャの制限不二論はこの信仰の体系化である。またクリシュナを崇拝するバーガバタ派と結びついてビシュヌ派として発達し,シバ派とともにヒンドゥー教の二大主流となっている。

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世界大百科事典(旧版)内のビシュヌ派の言及

【タントラ】より

…インド中世の,女性原理,〈性力〉を教義の中心とする諸宗派の聖典の総称。ふつうは,ビシュヌ派ではパンチャラートラ派のサンヒター,シバ派では聖典シバ派のアーガマおよび性力派のタントラなどを指す。最古のものは7世紀ころの成立とされる。…

【トゥルシー】より

…ヒンドゥー教,とくにビシュヌ派の人々が聖草とし崇拝の対象とする多年草。シソ科のメボウキの一種のカミメボウキOcimum tenuiflorum L.(=O.sanctum L.)で,英名sacred basil,holy basil。…

※「ビシュヌ派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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