ピーター・ドラッカー(読み)ぴーたー・どらっかー(英語表記)Peter Ferdinand Drucker

知恵蔵 「ピーター・ドラッカー」の解説

ピーター・ドラッカー

オーストリア出身の経営思想家(1909~2005年)。「経営学の父」「マネジメント権威」「ビジネス・コンサルタントの創始者」として知られ、「顧客の創造」「知識労働者」「分権制(=事業部制)」「ナレッジマネジメント(KM)」「コアコンピタンス」など、経営・管理に関する多くの用語・概念を生み出した。また、独特の視点による文明論・産業社会論を展開し、早くから知識社会・高齢化社会の到来や旧ソ連・バブルの崩壊などを予見したことでも知られる。自らも「経営学者」ではなく、「社会生態学者」「観察者」と称していた。
幅広い教養と深い観察眼に裏付けされたドラッカーの実践論は、欧米の企業経営者の信奉を集め、国内でも元ソニーCEO出井伸之、ユニクロの現CEO柳井正をはじめ、ドラッカーを師と仰ぐ経営者は数知れない。最近は、若い起業家やビジネスマンの間でも広く支持されている。火付け役となったのが、ドラッカーの組織管理論をベースにした小説『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(岩崎夏海・09年刊)で、ドラッカー・ファンを意味する「ドラッカリアン」なる造語も生まれている。
ドラッカーが生まれたのは、第一次世界大戦前の1909年。オーストリア・ハンガリー帝国の政府高官を父に持ち、幼少期から精神分析学者ジグムント・フロイト、経済学フリードリヒ・ハイエク、政治家トマス・マサリクらと交友があった。フランクフルト大学在学中に、米国系の投資銀行に就職したが、世界恐慌のあおりで経営破綻(はたん)したため、地元の夕刊紙に転職。当時、台頭めざましいナチスヒトラーにもたびたび取材した。33年、ナチスの政権掌握に伴い、渡英。この頃、ロンドンの日本画展を訪れたことをきっかけに、日本社会とりわけ明治維新に関心を抱くようになる。その後、米国に移り、39年に第一作『経済人の終わり』を発表。ファシズム起源を分析した本著は多くの注目を集め、英・チャーチル首相からも絶賛された。
43年に米国籍を取得し、同じ頃、GM(ゼネラル・モーターズ)幹部から同社の組織分析を依頼されたことを契機に、組織論や経営論への傾倒を深める。その後、ニューヨーク大学やクレアモント大学などで教壇に立ちながら、GE(ゼネラル・エレクトリック)、IBMなどの経営にコンサルタントとしてかかわった。主著には、マネジメントの概念を初めて提唱した経営学の古典『現代の経営』(54年)を始め、『断絶の時代』(69年)、『見えざる革命』(76年)、『イノベーションと起業家精神』(85年)、『ポスト資本主義社会』(93年)、『明日を支配するもの』(99年)などがある。

(大迫秀樹  フリー編集者 / 2010年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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