翻訳|Faust
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16世紀初頭のドイツに出現し,やがて伝説上の主人公となった魔術師。伝説の上では,ヨハネス(ヨハン)・ファウストJohannes Faustとして登場するが,実在のファウストのほうの名は,ゲオルクだったといわれる。ゲオルク・ファウストGeorg Faustは,1480年ころに生まれ,ハイデルベルクなどで神学を学び,各地を遍歴,ルネサンス期の自然哲学の知識を身につけ,人文主義者と交わった。彼の人物像は,すでに生前からさまざまな魔術師の伝説と混同されており,さらに彼の突然の死(1536-40年ころ)が,悪魔が彼の生命を奪ったとする伝説に拍車をかけることとなった。1587年にフランクフルトで出版されたシュピースの民衆本の中ではじめて伝説上のファウスト,すなわちヨハネス(ヨハン)の生涯が物語られる。そこでは,ファウストは飽くことを知らぬ生の享楽と無限の知的好奇心を満足させるため悪魔に魂を売り渡す。悪魔は彼に魔術の世界を開く鍵を伝授し,数々の奇跡を実行する能力を彼に授けたのである。これに続いてまずイギリスのC.マーロー(1588)が,ドイツではレッシング(断片),ゲーテ,F.M.クリンガー(1791),N.レーナウ(1836),ハイネ(1851,バレエ台本),20世紀に入って,トーマス・マンの《ファウスト博士》(1947),バレリーの《モン・フォースト》(1946)がこのテーマを扱い,ファウスト伝説を豊富にした。ファウスト〈テーマ〉は救済型と破滅型に分かれるが,ゲーテのファウストのみが救済され,他はそれぞれの時代思潮からとられたテーマに従って一般に破滅型である。多くの音楽家もまたそれぞれ重要なファウストをテーマとする作品によってこの伝説を一般化するのに貢献した。絵画ではドラクロア(1825)がファウストの最も情熱的な解釈者として有名である。
マーローのファウスト劇は,民衆本の茶番的要素が多く含まれているが,権力への意志と容赦なき罰との間の悲劇となっている(《フォースタス博士》)。ゲーテのファウスト劇は1773年の《ウルファウスト》をもって始まり,90年に《ファウスト断片》として引き継がれ,《ファウスト》第1部は1808年に出版された。ここではファウストはメフィストフェレスMephistophelesの魔術の力を借りて若がえり,清純な庶民の娘グレートヒェンGretchenを誘惑し,生まれた子どもとともに彼女を捨ててしまう。嬰児殺しの罪でグレートヒェンはファウストの名を呼びながら死刑に処せられるが,悔悟によって堕地獄から救われる。ファウストは彼を動物性へと陥れると主に誓ったメフィストと,彼自身の力によってその救済を確保する手段を彼に許した神との間で,いわば善悪の間に永遠に引きさかれた〈人間の状況〉のシンボルとなっている。32年に出版された《ファウスト》第2部は詩人ゲーテの成長の各段階を反映し,第1部よりはるかに象徴性の強いオペラ風のものとなっている。第1部の外部に向かう行動意欲,生の享楽といった主観的自我拡大の情熱的な努力に対し,第2部は,宮廷,母たちの国,ワルプルギスの夜,ヘレナ悲劇,将軍ファウストなどの場に見られるように,客観的な世界獲得の方向が顕著である。ファウストの死も,グレートヒェンの祈りによる救済として,人間の努力の彼岸にある超越的な恩寵による結末である。第3幕のヘレナの場では,ファウストと美の根源としてのヘレナの結婚を通じて,時空を超えた,北方と南方,ギリシア古代と中世ドイツとの壮大な象徴的結合が映像化されている。
20世紀のファウスト劇では,T.マンの《ファウスト博士》の場合,主人公である現代のファウスト作曲家レーバーキューンは,その創作にあたって悪魔から逆に魂(情熱)を吹き込まれねばならず,バレリーの《モン・フォースト》では,本来の術策が古びてしまった悪魔と主人公ファウストとの古来の役割は交換されてしまう。両者ともに,魂を喪失した現代におけるファウスト精神の意味が,それぞれの個性的表現を通じて強烈に提示されている。とりわけマンの場合,ドイツの20世紀半ばの社会・政治,そして文化的,精神的な危機状況がレーバーキューンの造形に色濃く反映されており,マンの最後の大作であった。
執筆者:河原 忠彦
ファウストを題材とした音楽作品は,劇音楽,声楽,管弦楽曲と幅広くあり,ゲーテの《ファウスト》によるものが最も多い。
(1)ゲーテ以前の民話によるものにシュポーア作曲のオペラ《ファウスト》(1813)があり,1816年プラハで初演された。
(2)ゲーテによるもの (a)ベルリオーズが1846年パリのオペラ・コミック劇場で演奏会形式で上演した劇的伝説《ファウストの劫罰(ごうばつ)》(1846)。ゲーテの作品からいくつかのエピソードを結び合わせたもので,比類ない管弦楽技法で幻想的情景をみごとに描いている。
(b)シューマンの独唱・合唱・管弦楽のための《ゲーテのファウストからの情景》(1853)。10年の歳月をかけた,序曲と3部からなる作品。ドイツ・ロマン派特有の和声感をみなぎらせた内面的,重厚な音楽。
(c)グノーの5幕8場のオペラ《フォースト》。ゲーテの第1部から恋愛場面を抽出してJ.バルビエとM.カレー共作のフランス語台本によって作曲,1859年(改訂版1869)パリのテアトル・リリックで初演。美しい旋律で人心を捕らえることに優れていたグノーは,バレエ《ワルプルギスの夜》などを挿入することで当時の聴衆の好みに応え,最も人気の高いファウスト劇となっている。ドイツではゲーテの原作から離れているという理由で《マルガレーテ》の題名で上演される。日本初演は1919年ロシア歌劇団による。
(d)ボーイトは自作のイタリア語台本による《メフィストフェレ》の題名でプロローグとエピローグをもつ4幕8場のオペラを作曲,1868年ミラノのスカラ座で初演。ワーグナー信奉者であったボーイトは,従来のイタリア歌劇の作劇法から脱却した壮大な劇的作品として構想したが,ゲーテの《ファウスト》を最も忠実にまんべんなく描き出そうとしたために長大なものとなり,75年短縮・改訂した。
(e)20世紀の代表的なものにはブゾーニのオペラ《ドクトル・ファウスト》がある。ブゾーニ自身の台本で作曲。未完成部分は弟子のヤルナハPhilipp Jarnach(1892-1982)によって完成,1925年ドレスデンで初演された。ゲーテの作品から語法など参照してはいるものの,題材はファウスト伝説や伝統的人形劇によっている。神秘的・象徴的な台本に加えて複雑な和声を多用,対位法的で非ロマン的な論理性に貫かれた音楽である。
(f)ゲーテの詩劇の登場人物の性格描写を各楽章で行ったリスト作曲の《ファウスト交響曲》(1857),そのほかゲーテの《ファウスト》の中の歌詩を選んで,ベートーベン,シューベルト,メンデルスゾーン,ムソルグスキーらが作曲している。リストには,N.レーナウの詩による管弦楽曲《レーナウの“ファウスト”からの二つのエピソード》(1860以前)もある。
執筆者:武石 英夫
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悪魔に魂を売って魔法を行ったというファウスト伝説にもとづいて書かれた文学。代表的にはゲーテの『ファウスト』がある(第1部1808年,第2部1831年)。なおファウストは1540年頃に死んだ実在のドイツの錬金術師。
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…熱狂的なカトリックの信仰に生き,修道院改革,写本の収集などに努めたが,世界を支配する七惑星などについて考える占星術師,魔術師的側面ももっていた。ファウスト伝説のモデルとされる歴史上の人物J.G.ファウストについて興味ある書簡の報告(1507)を残している。パラケルススの初期の教師の一人で,パラケルススの後年の思想にも影響を与えたといわれる。…
…また不老ないし不死の獲得が人間にとりいちがいに好ましい状態であるとも断言できず,事実ヨーロッパでは悪魔に魂を売ったり神罰を受けた者は死ぬことができなくなり,永遠にこの世をさすらう。〈さまよえるユダヤ人〉の伝説や,C.R.マチューリンのゴシック・ロマンス《放浪者メルモス》の主人公などがその例で,ファウスト伝説もこれに含まれよう。しかし一般には,不老と不死を同時に獲得することが幸福の永続を意味すると考えられ,古来盛んにその方法が探究された。…
※「ファウスト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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