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アメリカの映画監督。西部劇の古典《駅馬車》(1939)の名監督として知られ,日本でも戦前から〈西部劇の神さま〉と呼ばれてきた。アイルランド系アメリカ人で,サイレント時代に映画界に入り,多数の西部劇,アクション映画,メロドラマなどを手がけ,1924年,大陸横断鉄道建設を描いた西部開拓劇《アイアン・ホース》によって注目された。〈与えられた題材を何でもうまく料理する〉ハリウッドの典型的な職人監督として,活劇,コメディ,社会劇,人情劇,戦争映画など多彩な主題を魅力ある娯楽作品に仕上げた。そこにはすべてが彼自身の企画・製作であるかのような個性があふれ,ヒューマンな感動を伴う豪快かつユーモラスな男性的ストーリーを簡潔直截な歯切れのよい演出で語る〈フォードの世界〉がある。胸のすくアクション,詩情あふれる風景描写,爆笑の幕あい狂言的シーン,さらに,親子・兄弟あるいは年長者と若者の心のふれあい。人と人が支え合い信じ合い,見守り見守られつつ時はめぐるという考え方が,フォードの作品群を支える〈背骨〉のようなものであり,彼がしばしば軍隊に題材を取るのもその思想が生かしやすい舞台であるからにすぎず,短絡的に軍国主義的・好戦的映画作家と断じる総括は皮相に走るものというべきだろう。同郷意識が強く,アイルランド系の俳優たちを連続起用した。ジョン・ウェイン,モーリン・オハラ,ビクター・マクラグレンなどの人々は〈フォード一家〉と呼ばれてファンに親しまれた。
開拓史上有名な土地争奪戦(いわゆる〈ランド・ラッシュ〉)を背景に,若い恋人たちを守って戦う心優しい無頼漢たちを描いた《三悪人》(1926),愛するわが子たちを次々に戦争に奪われるドイツの母の悲劇を描いた《四人の息子》(1928),伝染病と戦い,愛妻を失う一医師の人生を描いた《人類の戦士》(1931),アイルランド独立戦争のさなか自由へのあこがれから親友を売って自滅する愚直な男を描いた《男の敵》(1935),〈ウィル・ロジャース三部作〉とよばれる人情味あふれる豪快な喜劇,すなわち《ドクター・ブル》(1933),《プリースト判事》(1934),《周遊する蒸気船》(1935),スタインベックの名作の映画化《怒りの葡萄》(1940),ウェールズの一鉱山の盛衰とそこに生きた一家族の明暗を描いた《わが谷は緑なりき》(1941),詩的西部劇の傑作として名高い《荒野の決闘》(1946),ときにシリアスにときにユーモラスに西部辺境の騎兵隊の生活を描いた〈騎兵隊三部作〉として知られる《アパッチ砦》(1948),《黄色いリボン》(1949),《リオ・グランデの砦》(1950),アイルランド気質あふれるコミカルな人情劇《静かなる男》(1952),インディアンに奪われた少女を探し求める男の執念と孤独と憎しみの旅路を描いた《捜索者》(1956),古き西部の終焉を描いた《リバティ・バランスを射った男》(1962),白人に追われるインディアンの一群の生れ故郷への悲惨な大移動を描いた《シャイアン》(1964)……。フォードの作品歴は,契約監督時代と独立プロ時代に大きく分けられ,前半は22歳(1917)から第2次世界大戦直後の51歳まで,後半は52歳(1947)から71歳(1966)までとなる。最高の密度と完成度を示した作品は前半に多いといわれるが,壮年期のフォードの見せた力量は抜群であり,また,サイレントからトーキーへ,モノクロからカラーへ,さらにワイド・スクリーンへと,映画は改革されるたびに試行錯誤したが,フォードはいずれの場合もほとんど迷わずに音,色彩,大画面などの新要素を使いこなした。晩年の作品は内容がしだいにペシミズムに傾き,演出力もやや冗長に流れすぎるといわれもしたが,最後の作品になった《荒野の女たち》(1966)では処女作のような若々しさにあふれた演出ぶりを見せた。
→西部劇
執筆者:岡田 英美子
アメリカの自動車王でフォード・モーター社の創業者。アメリカの天才的技術者,企業的成功者として,発明王エジソンとならんで語られるヒーローの一人。農家に生まれるが機械いじりが好きで16歳で機械工となる。1887年エジソン電気会社の主任技師となるがこれを辞して自動車製造に専念,1903年ミシガン州ランシングにフォード・モーター社を設立,何回かの失敗ののち08年,今日に伝わる有名な大衆車〈フォードT型 モデルT〉の開発に成功した。このT型は,当時あまりにも高価で〈金持の玩具〉といわれた自動車を,その低価格で真の大衆の足とした画期的なものであった。事実T型フォード車の価格は,08年の850ドルから24年には290ドルにまで引き下げられた。この低価格実現の秘密は彼のつくり上げた組立てラインにあり,自動車組立てに初めて大量生産方式を導入したものとして有名である。フォード社はその後成長を続け,24年には160万台を販売して市場占有率50.2%という絶頂期を迎えた。このころフォードは労使共栄の理念を打ち出し,日給5ドルという破格の賃金と8時間労働制を導入して世間を驚かせた。企業の成功は同時に労働者の繁栄であると説くフォードの主張は,〈フォーディズム〉として世界に喧伝された。しかし30年代以降になると,低価格の1車種生産に固執したためゼネラル・モーターズ社に抜かれる。このころ労働争議が生じるが,フォードはその信念から組合の組織化に反対,ために大争議に発展するが一歩も譲らず,労働者から強い非難をうける。天才的だが独裁的な19世紀型企業家の最後の一人といわれる。45年に引退,慈善事業にも貢献した。本拠であるミシガン州ディアボーンにディアボーン美術館を,またフォード財団,フォード病院などを設立したのは有名。
執筆者:鳥羽 欽一郎
イギリスの劇作家。デボンシャーに生まれたこと,1602年に法学院に籍をおいたこと以外,その生涯については知られていない。幾人かの劇作家と共作したと考えられるが,彼単独の作品としては悲喜劇《恋する人の憂愁》(1628初演。以下初演年),悲劇《はり裂けた胸》(1629ころ),《あわれ彼女は娼婦》《愛のいけにえ》(ともに1632ころ),歴史劇《パーキン・ウォーベック》(1633ころ)などがある。彼の悲劇はいずれも愛をテーマとしているが,中心的人物の白熱した情念が自然に燃焼することを許されず抑圧される結果,一種異常な扇情的雰囲気が沈鬱な哀愁を帯びて立ち現れるところに特徴がある。血と嗜虐的暴力あるいは近親相姦といった衝撃的な劇の道具立てとは裏腹な沈思と沈黙が,彼のドラマの最も重要な要素であり,ここにシェークスピアのロマンティシズムとは異質の耽美(たんび)的デカダンスを見取る向きもある。《パーキン・ウォーベック》は誇大妄想的王位僭称者である主人公の内面の人間的偉大さに光を当てて,歴史劇に新機軸を打ち出した作品として高く評価される。
執筆者:笹山 隆
イギリスの小説家,ジャーナリスト。美食家としても知られる。父はドイツ系の音楽評論家フランシス・ヒューファー,祖父はラファエル前派の創始者の一人である画家F.M.ブラウン。国際色豊かな文学的な環境に育ち,早くから文筆に従事,18歳でカトリックに改宗。J.コンラッドと《相続者たち》(1901)などを共作。1908年《イングリッシュ・レビュー》を創刊編集,T.ハーディ,J.ゴールズワージー,J.コンラッドからT.S.エリオット,R.フロスト,P.W.ルイスまでの多彩な作品を掲載,また24年にはパリで《トランス・アトランティック・レビュー》を創刊編集,J.ジョイス,E.ヘミングウェーの作品を掲載するなど,新しい文学の理解者としてつねに精力的に,その紹介に努めた。また小説家としても《りっぱな軍人》(1915)を執筆。第1次世界大戦に中尉として出征,毒ガスにより負傷して帰国後は,この大戦をテーマにし広い文明的視野をもった四部作《行進の終り》(1924-28)などのすぐれた作品を発表し,近年再評価の動きが強い。
執筆者:鈴木 建三
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…その歴史は必ずしも明確ではないが,1873年イギリスのR.デービッドソンによる四輪トラックが最初といわれており,80年代にはフランスで本格的な電気自動車が製作されている。アメリカにおいてはT.A.エジソンとH.フォードによる電気自動車開発の功績が大きく,90年ころから急速に普及をみた。その後ほぼ20年間にわたって蒸気自動車と競いあい,99年にはフランスで〈ジャメ・コンタント号〉をベルギーのC.イェナッツィが運転して,105km/hという当時の最高速度記録を樹立,電気自動車の優位性を誇示した。…
…社会,教育,公共事業の推進を目的に,1936年H.フォードとその子エドセルによって設立されたアメリカ有数の多目的財団。その事業範囲は,(1)教育と研究,(2)資源と環境,(3)公共放送,(4)国内問題,(5)国際活動,の多岐にわたる。…
…アメリカ第2位の自動車メーカーで,いわゆるビッグ・スリーの一社。略称フォード。世界の自動車メーカーのなかでは最も多国籍企業化が進んでいる。…
…ハムレット,マクベス,リア王,フォールスタッフなど,強烈な存在感のある人物を数多く造った点でも,彼の右に出るものはいない。
[屈折と終息]
シェークスピアの同時代人には,〈気質喜劇〉と呼ばれる卓抜な風刺劇の作者ベン・ジョンソンがいたが,ほかにも,《白魔》《モールフィ公爵夫人》のJ.ウェブスター,《復讐者の悲劇》のC.ターナー,《あわれ彼女は娼婦》のJ.フォードなど,すぐれた才能がひしめいていた。加虐,嗜虐,近親相姦といった屈折し倒錯した主題を,マニエリスム的な手法で劇化した彼らの作品には,ルネサンス末期の魂の苦悩と,痛ましい抵抗の身もだえが満ちている。…
…初期の歴史劇から晩年のロマンス劇にいたるその複雑な作家的展開の過程において,言語・舞台芸術としての演劇のあらゆる可能性が試され,開花させられていると言って過言ではない。彼と同時代またはその後の劇作家には,風刺喜劇の型を確立したベン・ジョンソン,ロンドンの民情を背景にメロドラマを多作したトマス・デッカー,高揚された詩的表現を用いて迫力に富む流血悲劇を作り上げたジョン・ウェブスター,冷徹皮肉な人間性の観察者トマス・ミドルトン,純化された情念の輝きを耽美的に追求したジョン・フォードなどがいる。彼らの作品は移り変わる観客の嗜好と人気の波にもまれつつ,時に10に及ぶ数の劇場で上演され続けたが,ピューリタン革命勃発後の1642年にロンドン中の劇場が閉鎖されることになって,エリザベス朝演劇はその幕を閉じた。…
…またナチス・ドイツから逃れてきたラング,サーク,シオドマーク,ワイルダーらの映画監督を受け入れ,そのほか,アメリカ映画音楽の基礎を築いたチェコ生れのE.V.コーンゴールド,オーストリア生れのM.スタイナー,俳優ではイギリス人のケーリー・グラント,フランス人のシャルル・ボアイエ,スウェーデン人のイングリッド・バーグマン等々,つねに〈外国人〉を輸入し〈アメリカ映画〉を補強してきたことがその事実を物語っている。しかも,とりわけアメリカ映画的なアメリカ映画である西部劇の作り手がアイルランド人の移民の子であるジョン・フォードであり,アメリカン・ロマンスの名作であり〈もっともアメリカ的な愛国精神〉に貫かれた映画として知られる《カサブランカ》(1942)の監督が,ハンガリー人のマイケル・カーティスであるというところにアメリカ映画の特質があるといえよう。しかも,30年代には,ほとんどすべてのスターがアングロ・サクソン系の名まえを名のった。…
…1939年製作。映画史上もっとも有名な西部劇であり,ジョン・フォード監督の代表作の1本。西部劇が〈B級映画〉のみで完全に衰退しきっていた1930年代の末に,その斬新なスタイルとテーマ,そして空前の激しいアクションで大ヒットし,西部劇の新しい時代を開いて,その後《大平原》《無法者の群》《砂塵》等々と続くハリウッドの〈大作西部劇の新サイクル〉の嚆矢(こうし)となった。…
…1935年製作。ジョン・フォードが初めて手がけたアイルランドもの。出来心から友人のIRA党員をイングランドの軍人組織に売り,罪の意識と党による報復の恐怖に苦悶する男を,ビクター・マクラグレンが好演。…
…1946年製作のアメリカ映画。ジョン・フォードの戦後初めての作品で,西部劇の名作。トーキー以後,この作品までにフォードが撮った西部劇は《駅馬車》(1939)1本だけであったが,この映画のヒットの後,翌47年から50年までの3年間に《アパッチ砦》《三人の名付親》(ともに1948),《黄色いリボン》(1949),《幌馬車》《リオ・グランデの砦》(ともに1950)の5本を次々とつくり,この時期にその名が西部劇と切り離せないものになる(日本では〈西部劇の神様〉と呼ばれる)。…
…正義のヒーローが悪漢どもを倒し,ヒロインを救うという勧善懲悪のパターンで,大人気を博し,やがて〈ホース・オペラhorse opera〉と呼ばれるB級西部劇,トム・ミックスやバック・ジョーンズから〈歌うカウボーイ〉と呼ばれたジーン・オートリーやロイ・ロジャーズに至るお子さま向け西部劇の原型になった。 リアリズム志向の西部劇は,インディアンと白人の混血児の悲劇を描いたセシル・B.デミル監督《スコウマン》(1913),虐げられつつ滅びゆくインディアンの悲哀を描いたモーリス・トゥールヌール監督《モヒカン族の最後》(1920)やジョージ・B.サイツ監督《滅びゆく民族》(1926)といった人種問題に目を向けた作品や,《鬼火ロウドン》(1918)あたりから《曠原の志士》(1925)に至るウィリアム・S.ハート監督の人間味と詩情のあふれる〈ハート西部劇〉や,開拓民のキャラバン隊の大移動を描いたジェームズ・クルーズ監督《幌馬車》(1923)や鉄道建設を描いたジョン・フォード監督《アイアン・ホース》(1924)といった西部開拓史そのものに取材した〈叙事詩〉的大作に受け継がれた。1930年には早くも70ミリ作品に挑んだラオール・ウォルシュ監督《ビッグ・トレイル》,そしてオクラホマ20年の開拓史をつづったウェズリー・ラッグルズ監督《シマロン》(1931)のような大作がつくられている。…
…1956年製作のジョン・フォード監督の西部劇。《荒野の決闘》(1946)から《シャイアン》(1964)に至るフォードの戦後の西部劇の頂点とみなされ,フォード自身のことばによれば〈家族の一員になることができなかった1人の孤独な男の悲劇〉を描いた詩情あふれるフォード西部劇の集大成でもあり,また,人種偏見と憎しみに生きる孤独な男の心のなかに突如愛とヒューマニズムがよみがえる瞬間をみごとに感動的に演じてジョン・ウェインの最高作ともみなされる作品である。…
…のちこの組織は戦時情報局に吸収されているが,ジョン・スタインベックの脚本によるハーバート・クライン《忘れられた村》(1941)が自主製作されたことも注目される。戦争中は,フランク・キャプラ製作・監修の《われらはなぜ戦うか》シリーズ(1942‐45)を中心に,ジョン・フォードの《ミッドウェーの戦い》(1942)をはじめ,ウィリアム・ワイラー,ジョン・ヒューストン,アナトール・リトバク(1902‐74)等々,ハリウッドの監督による戦争ドキュメンタリーがつくられた。 イギリスでは,情報省の支配下で,ハリー・ワットの《今夜の目標》(1941),ロイ・ボールティングの《砂漠の勝利》(1943),キャロル・リードとガースン・ケニン編集による英米合作の《真の栄光》(1945)などがつくられた。…
…1941年製作のアメリカ映画。ジョン・フォード監督作品。美しい自然に包まれた人情豊かなウェールズの炭鉱町で生まれ育った少年(ロディ・マクドウォール)の口から,炭坑に生きる父(ドナルド・クリスプ)や兄たち,強い母や優しい姉(モーリン・オハラ),若い牧師(ウォルター・ピジョン)のことが回想の形式で語られる。…
※「フォード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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