フランシスコ・デ・ヘスース(読み)Francisco de Jesu´s

朝日日本歴史人物事典 の解説

フランシスコ・デ・ヘスース

没年:寛永9.7.19(1632.9.3)
生年:1590.6.2
スペイン人アウグスチノ会士。パレンシア県ビリャメディア生まれ。俗名フランシスコ・テレロ・デ・オルテガ・イ・ペレスバリャドリード大学で教会法を学び,1614年アウグスチノ隠修士会に入る。1620年フィリピンに渡る。禁制下の元和9(1623)年,日本管区長代理として薩摩(鹿児島県)の久志に渡来,次いで長崎に赴いた。寛永3(1626)年本州北部,特に奥州米沢地方で活動し,同5年長崎に戻った。翌年潜伏中捕らえられ,寛永9年雲仙で熱湯による拷問を受けたが屈せず,長崎西坂において殉教。<参考文献>G.Ochoa del Carmen《Doshe´roesoadmirablevidadelosP.P.Fran‐ciscodeJesu´syVicentedeSanAntonio》,A.Hart‐mann《TheAugustiniansin17thCenturyJapan》,LuisdeJesu´s《HistoriaGeneraldelosPadresAu‐gustinos Descalzos》

(野間一正)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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