フリードリヒ(2世)(ドイツ国王、神聖ローマ皇帝)(読み)ふりーどりひ(英語表記)Friedrich Ⅱ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

フリードリヒ(2世)(ドイツ国王、神聖ローマ皇帝)
ふりーどりひ
Friedrich Ⅱ
(1194―1250)

シュタウフェン朝のドイツ国王(在位1212~50)、神聖ローマ皇帝(1220~50)。皇帝ハインリヒ6世とシチリア王女コンスタンツェの息子。父帝が若死にしたため(1197)、シチリアの母后のもとで育てられた。母后は息子のドイツ王位継承権を放棄、シチリア王として即位させ、教皇インノケンティウス3世を後見人に選んだ。だがウェルフ家のドイツ国王オットー4世がイタリアに勢力を伸ばし、教皇と争うに至り、1211年教皇はフリードリヒを対立国王に推し、翌年フリードリヒはドイツに赴き、シュタウフェン派諸侯に支持されてアーヘンで即位式をあげ、フランス国王フィリップ4世と結んでオットー4世を破り、支配権を確立した(1214)。しかしフリードリヒ2世の主要な関心はシチリア王国の経営に向けられ、それに専心すべくまもなくイタリアに帰還(1220)、ドイツの統治は息子のハインリヒ、ついでコンラートにゆだね、その結果、ドイツ国内の諸侯に大幅な譲歩を余儀なくされ、二度(1220、32)にわたり「協約」を結んで聖俗諸侯に多くの特権を与えた。他方シチリア王国では着々と近代的統治機構を整え、学芸を奨励して、後世の歴史家から「王座の上の最初の近代人」と称賛されたが、十字軍に不協力のかどで教皇から破門され、以後教皇との確執に悩まされた。1228年独力でエルサレム遠征を行い、帰国後、一時教皇と和解したが、ふたたび教皇と結んだロンバルディア諸都市と争い、息子ハインリヒにも背かれ、リヨン公会議で皇帝廃位を宣言され(1245)、その死とともにシュタウフェン王朝は事実上崩壊した。

[平城照介]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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