ブランデンブルク辺境伯領(読み)ブランデンブルクへんきょうはくりょう(英語表記)Markgrafschaft Brandenburg

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

ブランデンブルク辺境伯領
ブランデンブルクへんきょうはくりょう
Markgrafschaft Brandenburg

後年のプロシア王国中心部となるドイツ北東部の一地方。古くスラブ人の居住地で,地名もスラブ人の首都ブラニボルに由来する。 10世紀以降東部植民の進展を通じて次第にドイツ化され,12世紀にはスラブ人に対する防衛のための辺境伯領が設けられた。最初はアスカニエル家が封じられたが,その後数回の交替を経て,1411年にホーエンツォレルン家のフリードリヒ6世が辺境伯となってから,近代までこの家門が君臨した。 15年フリードリヒは選帝侯にも任じられ,フリードリヒ1世と名のった。アルブレヒト3世アヒレス (1414~86) のもとで領土は増大し,財政も向上した。宗教改革が起ると,この領邦ではルター派が採用され,以後ドイツの最も有力な新教国の一つとなった。三十年戦争では大きな被害を受けたが立直り,17世紀後半に大選帝侯と呼ばれたフリードリヒ・ウィルヘルムが常備軍制と租税システムを導入し,プロシア的絶対主義の礎が築かれた。 1701年フリードリヒ1世 (3世)のとき王号が許されたが,新王国名称は,1618年ブランデンブルクに併合された東方のプロシア公国からとられ,国名としてのブランデンブルクはこのときをもって消滅した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android