ベニョフスキー(その他表記)Benyowsky Moritz August Aladar, Graf von

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベニョフスキー」の意味・わかりやすい解説

ベニョフスキー
Benyowsky Moritz August Aladar, Graf von

[生]1741. ベルボボ
[没]1786.5.23. マダガスカル
ハンガリー軍人,冒険家。伯爵家出身と称した。ポーランド軍隊に入り,1768~69年のロシアとの戦争で捕虜となり,カムチャツカに流された。 71年数十名の同志と脱獄してロシアの軍艦を奪い,日本,琉球,台湾近海を航してマカオ,次いでフランスに逃亡をはかった。その途中,同年8月彼の船は阿波奄美大島に漂着した。その際出島のオランダ商館長に書簡を送り,ロシアの南下警告した。林子平など当時の日本の識者の間ではハンベンゴローとして知られた。その後マダガスカル島の植民地開拓にも関係している。回想記『ベニョフスキー航海記』 Voyage et Mémoires (2巻) がある。

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朝日日本歴史人物事典 「ベニョフスキー」の解説

ベニョフスキー

没年:1786.5.23(1786.5.23)
生年:1746
ハンガリー出身のポーランド軍人,江戸中期に日本と接触。独立運動に関与してカムチャツカに流刑となり,明和8(1771)年,同志と共に船を奪って脱出,阿波,土佐,奄美大島を経由してマカオに至り,帰欧。奄美から長崎オランダ商館に送ったロシアの南進策を強調した書簡は翻訳され「ハンベンゴロ(ベニョフスキーの転訛)の警告」として日本の海防論に刺激を与えた。マダガスカル島の独立を計って戦死。虚言癖があり,航海記は大言壮語に満ちている。<著作>『ベニョフスキー航海記』(水口志計夫・沼田次郎編訳)

(春名徹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ベニョフスキー」の解説

ベニョフスキー Benyovszky, Móric

1746-1786 ポーランドの軍人。
1746年9月生まれ。ハンガリーの人で,ポーランド軍に投じロシア軍とたたかって捕虜となるが,カムチャツカで1771年軍艦をうばって脱走。阿波(あわ)(徳島県)の日和佐などに寄港し,長崎のオランダ商館長あてにロシアの南進計画を通報。これは「ハンベンゴロ(ベニョフスキーの誤読)の警告」として知られる。1786年5月23日死去。39歳。

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