広義には,ベネチアが都市共和国として政治的経済的な繁栄を誇った中世から18世紀にかけて,この都市(および周辺のベネト地方)で生み出された美術全般をいうが,実質的には,とくに15~16世紀と18世紀に2度にわたって黄金時代を迎えたベネチア絵画を指す。
ベネチアの美術は11世紀以来のサン・マルコ大聖堂のモザイク装飾に始まると言えるが,この都市の地理的・歴史的環境からビザンティン美術の影響が長く残存し,その影響は,十分な発展を遂げなかった同地のロマネスクやゴシック美術の性格をも色濃く規定している。初期ルネサンスの美術も,ベネチアではフィレンツェ派の移植として現れ,その独自な展開は15世紀後半以降のことであった。フィレンツェにおいては建築,彫刻,絵画が相互に有機的な関連をもって発展し,むしろ前二者が絵画を主導したのに対し,ルネサンス期ベネチアの美術の最も重要な特徴は,わずかな例外(建築のコドゥッチM.Coducciや彫刻のリッツォA.Rizzo等)を除いて,もっぱら絵画の分野において独自の発展と豊饒な歴史的成果の達成が見られたことであろう。ベネチア派はしたがって絵画的流派であり,またその代表的な芸術家(ジョバンニ・ベリーニからジョルジョーネ,ティツィアーノ,ティントレット,ベロネーゼまで)もフィレンツェ派の知的理論的で多能な天才たち(アルベルティからレオナルド・ダ・ビンチ,ミケランジェロまで)とはまったく異なり,もっぱら感覚本位の専業画家であった。
ベネチア派の〈絵画的〉特性はさらに絵画自体の特質をも規定している。フィレンツェ派の素描(ディセーニョdisegno)に対するベネチア派の彩色(コロリートcolorito)と言われるように,古くはゴシックのパオロ・ベネツィアーノPaolo Venezianoから下ってはロココのティエポロに至るまで,一貫して形体,線,彫刻的ボリュームより色彩,光のトーン,絵画的マッスあるいは筆触に価値を置いた。その結果,前者より半世紀遅れて発展したにもかかわらず,ジョバンニ・ベリーニの様式変化に象徴されるような急速な成熟を遂げて,近代的な開かれた絵画的様式と概念にいち早く到達する。すなわち,16世紀のベネチア派の集大成者ティツィアーノの成熟期の様式(明暗諧調と豊麗な色彩の和音的融合,開かれたフォルムと流動的な筆触画法)から,ルーベンスやベラスケス,ゴヤ,ドラクロア,さらに印象派にまで連なる近代ヨーロッパの色彩派の絵画的伝統が発するのである。また技法的にも,ティツィアーノから,透明画法と不透明画法を自由に組み合わせる近世の古典的な油彩画法と,それに適した新しい支持体=キャンバスの使用が本格的に始まった。
一方,内容的に見ると,ベネチア絵画では,フィレンツェ派やローマ派におけるような人物(物語)中心の明示的叙述より,伝統的に人物と空間全体の詩的暗示的表現を好み,官能性豊かな人間像は感覚的魅力をたたえた周囲の空間と親密に融和する傾向を示す。それゆえ,人物モティーフの衒学(げんがく)的なレトリックが空間を占有する中部イタリアのマニエリスムは,本質的にベネチア派とは相入れず,それはティツィアーノやティントレットに一時的な影を落とすだけで,実質的にはバロック的なドラマトゥルギーや華麗なページェントに転化されていく(ベロネーゼ,ティエポロ)。ジャンル的には,とくにベネチア派独自のものとして街景画(ベドゥータveduta)と肖像画をあげることができよう。ヤコポ・ベリーニ以来の人物より環境空間を重視する傾向は,一方ではジョバンニ・ベリーニ,ジョルジョーネ,初期のティツィアーノという抒情的な理想郷的風景表現の系譜となり,他方でジェンティーレ・ベリーニやカルパッチョから18世紀のカナレット,ベロットに至る都市空間を明晰な遠近法で再現する街景画の系譜となって,近代的風景画の中に流れ込んでいく(この中でグアルディは街景画を非現実的な詩的幻想に転じたことで異色の存在である)。一方,肖像画は,ジョバンニ・ベリーニやアントネロ・ダ・メッシナからロット,ティツィアーノ,ティントレットに至る伝統が,濃密な生動感と鋭敏な精神性をたたえた近代的肖像画の源泉として輝かしい光彩を放っている。
他にベネチア派の重要な画家として15世紀のビバリーニ一族,クリベリ,チーマ・ダ・コネリアーノCima da Conegliano(1459ころ-1517ころ),16世紀のセバスティアーノ・デル・ピオンボ,パルマ・イル・ベッキオ,バッサーノ,17~18世紀のリッチ,ピアツェッタ,ロンギ等の名をあげることができる。
執筆者:森田 義之
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イタリアの都市ベネチアを中心に栄えた美術の流派。とくに15世紀後半から16世紀、および18世紀に著しい展開をみせた絵画に限定して用いられることが多い。描線に対する関心の強い知性的なフィレンツェ派に比べ、ベネチア派は色彩に重点を置き、感覚的、官能的な美を追求した。ベネチアの美術の出発点は11世紀に再建されたサン・マルコ大聖堂とその内部を飾るモザイクであった。このビザンティン的な装飾性と北からのゴシック様式とは、ベネチアの地に深く浸透した。そのためトスカナに生まれたルネサンス様式の受け入れが、イタリアのほかの地方に比べ、つねにもっとも後れをとった。ジョットの偉大な革新に呼応するような画家はまったく現れず、15世紀に入っても、ファブリアーノやピサネッロらの外来の美術家が活躍していた。この世紀のなかばになってようやくビバリーニVivarini〔アントニオ(1418/1420―1476/1484)、バルトロメオ(1432―1491以後)、アルビーゼ(1445/1446―1503/1505)〕とベッリーニ〔ヤコポ、ジェンティーレ、ジョバンニ〕の二つの画家一族がベネチア派絵画の発展の基礎をつくった。とくにジョバンニ・ベッリーニはテンペラ画から油彩画への過渡期に活躍し、暖色系の色彩を用いて形態そのものをつくりだし、ベネチア派の基本的特色を確立した。この時期にはカルパッチョ、アントネッロ・ダ・メッシーナ(シチリア出身)、建築家のマウロ・コドゥッチMauro Coducci(1440―1504)らも活躍している。16世紀にはジョルジョーネが自然と密着した詩情あふれる叙情性を画面に導入し、ティツィアーノは官能的な色彩からドラマチックな光の効果に至る幅の広い様式展開をみせ、続いてピオンボ(ローマで活躍)、ロット、ティントレット、ベロネーゼなどが輩出しベネチア派の黄金時代を迎えた。建築ではパッラディオが目覚ましい活躍を示した。17世紀は建築家のロンゲーナBaldassare Longhena(1598―1682)を除くと概して停滞に終わったが、18世紀にはピアッツェッタ、ティエポロ、カナレット、グァルディ、ロンギなどの画家が現れ、ベネチア派の最後の光芒(こうぼう)がみられた。
[篠塚二三男]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…イタリアの画家。ベネチア派最後の大装飾画家で18世紀イタリアのロココ文化を代表する。ベネチアの裕福な船荷商人の家に生まれ,ラッザリーニG.Lazzariniのもとで修業した後,1717年,21歳で画家組合に登録される。…
…イタリアの画家で,16世紀ベネチア派最大の巨匠。アルプス山麓のピエベ・ディ・カドレPieve di Cadoreで由緒ある公証人の家系に生まれる。…
…イタリアの画家。ベロネーゼと並んで16世紀後半のベネチア派を代表する巨匠。本名ヤコポ・ロブスティJacopo Robusti。…
…すなわち,ルネサンスとバロックの間にマニエリスムを認めることによって,バロックはマニエリスムの反古典的方向を止揚し,ルネサンスの秩序と形式を一部回復させようとしたものであることが明らかになった。このことは,ルーベンス,カラッチ,ピエトロ・ダ・コルトナ,プッサンなどが〈新ベネチア派〉とも呼ばれているように,16世紀前半のベネチア派,とくにティツィアーノの芸術からもっとも深い影響を受けていたことによって証明される。レンブラント,ベラスケスもまたベネチア派と深い関係をもつ。…
…バロック時代には,ロンゲーナの手で,水辺に調和する優美なサンタ・マリア・デラ・サルーテ教会,カ・ペーザロなどがつくられた。 美術の分野でも東方の影響が強く,形態の構成を重視するフィレンツェ派に対し,ベネチア派は光と色彩に鋭い感覚を示す。ビザンティン的画風にゴシック様式を取り入れたヤコポ・ベリーニ(ベリーニ一族)に始まったベネチア派の絵画は,その2人の息子ジェンティーレ,ジョバンニ,さらにカルパッチョ,ジョルジョーネらに引き継がれた。…
…ベネチアの画家一族。父子2代にわたってルネサンス期ベネチア派の形成に指導的な役割を演じた。(1)ヤコポJacopo Bellini(1400ころ‐70か71)はジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの弟子で,師の後期ゴシック様式の影響を強く受けて画風を形成する。…
※「ベネチア派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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