ベリマン(英語表記)John Berryman

改訂新版 世界大百科事典 「ベリマン」の意味・わかりやすい解説

ベリマン
John Berryman
生没年:1914-72

アメリカの詩人。デルモア・シュワーツ,ランダル・ジャレル,ロバート・ローエルらとともに1940年代に詩壇に登場し,先行するT.S.エリオットやエズラ・パウンドの詩学の権威後続のビート詩人(ビート・ジェネレーション)らの詩風革新運動の挟み撃ちにあった世代の詩人。この世代は,ともに破滅型の生活を送り,非業の死をとげている。初めは,エリオットやパウンドにならって〈非個性〉を旨とする〈仮面〉をつけた詩を書いていたが,やがて自己表出欲が抑えきれぬほどに高まっていく。長詩編《ブラッドストリート夫人賛歌》(1956)はみずからに課した〈仮面〉と抑えきれぬ〈本音〉との緊張関係が微妙に保たれた傑作。その後数年かけて書きつがれた《夢の歌》(1969)は,数人の登場人物の背後に身を韜晦(とうかい)させているが,自己告白の調子が濃厚になる。《愛と名声》(1970),《妄想》(1972)などの詩集では,生活と詩作とがますます分かちがたいほど密接になり,死について書き,ついに投身自殺をした。
執筆者:

ベリマン
Hjalmar Bergman
生没年:1883-1931

スウェーデンの作家。一風変わった人物で,卓抜着想,巧みな話術で人気のある多作家であるが,日本人にはなじみがない。戯曲《イエスの母マリア》(1905),歴史小説《サボナローラ》(1909)の後,《ワードヒェーピングのマルクレル家の人々》(1919)で作家としての地位確立。人を楽しませる反面,まじめな人生探求者の側面もあり,告白の書として《死者の手記》(1918),《道化師ヤック》(1930)がある。円熟期の大半は海外で過ごしたが,ハリウッドを嫌ったのは彼の好みを示している。
執筆者:

ベリマン

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベリマン」の意味・わかりやすい解説

ベリマン
Bergman, Hjalmar Fredrik Elgérus

[生]1883.11.19. エーレブルー
[没]1931.1.1. ベルリン
スウェーデンの小説家,劇作家。富裕な銀行家の息子に生れ,1900年から1年間ウプサラ大学で学んだのち,生涯の大半を外国で過し,特にフィレンツェを愛した。アメリカのハリウッドで映画監督をしたこともある。代表作小説『ワドチェーピング町のマルクレル家』 Markurells i Wadköping (1919) ,『祖母とわれらの主』 Farmor och Vår Herre (21) ,喜劇『スウェーデンイェルム家』 Swedenhielms (25) 。

ベリマン
Bergman, Torbern Olof

[生]1735.3.20. カトリエンベリ
[没]1784.7.8. メデビー
スウェーデンの化学者,鉱物学者。分類学者 C.リンネのもとで学び,ウプサラ大学の数学助教授となり (1761) ,6年後化学教授になった。物質の化学的親和力の表を作成したが,この概念は 19世紀の初めまでかなりの影響力をもっていた。鉱物,特にニッケルの研究,虹やオーロラ,ピロ電気の研究でも知られている。

ベリマン
Bergman, Bo Hjalmar

[生]1869.10.6. ストックホルム
[没]1967.11.17. ストックホルム
スウェーデンの詩人,小説家。主としてストックホルム周辺を舞台とした作品を書いた。短編集『夢』 Drömmen (1904) ,詩集『マリオネット』 Marionetterna (03) ,『火』 Elden (17) ,『古代の神々』 Gamla gudar (39) ,『王国』 Riket (44) など。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報