日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ベルヌーイ(Johann Bernoulli)
べるぬーい
Johann Bernoulli
(1667―1748)
スイスの数学者。13歳年長の兄ヤコブとともに、微積分学の成立に貢献した。バーゼルの生まれ。初め古典学と医学を学び、18歳で文学修士、23歳で医学の免許を得た。数学は兄に学んだ。1690年からパリに遊学、ここで騎兵大尉ロピタルGuillaume F. A. de l'Hôpital(1661―1704)侯爵に微積分学の講義をしたが、ロピタルがその講義を『無限小解析』にまとめて1696年に出版、これが微積分学が体系として公刊された最初とされる。
バーゼル大学教授の兄ヤコブが重厚であったのに対し、ヨハンは俊敏で名誉欲が強かったといわれ、1695年オランダのフローニンゲン大学教授となって以後、微分方程式の求積法や変分法をめぐって兄弟は優劣を競い合い、それがために不仲になった。兄の死後、バーゼル大学教授となるが、ここではイギリスのニュートン派と争いを始めた。すなわち、今日でいうテーラー級数の原型を、ライプニッツやベルヌーイ兄弟ももっていたのであるが、それにニュートン派の若いテーラーが手をつけたためである。さらに晩年になってから、息子ダニエルとの間で流体力学についての先取権を争っている。当時は、数学といっても数理物理学をそのなかに含んでおり、力学の仮想変位の原理についてもヨハンの寄与が伝えられている。ヨハンは18世紀前半のヨーロッパ数学界に君臨した人物であり、18世紀最大の数学者とされるオイラーも彼の弟子であった。
[森 毅]