ペレコプ地峡(読み)ペレコプちきょう(英語表記)Perekopskii peresheek

改訂新版 世界大百科事典 「ペレコプ地峡」の意味・わかりやすい解説

ペレコプ地峡 (ペレコプちきょう)
Perekopskii peresheek

ウクライナ南部,クリミア半島本土を結ぶ地峡。本土側から南東にのび,長さ30km,幅8~23km。これによって黒海とアゾフ海側のシバシ潟が分けられる。本体は砂嘴(さし)の砂,粘土層よりなる。表面はほぼ平たんで,半砂漠かステップの植生が粗く地を覆う。本体である地峡はヘルソン方面からの鉄道北クリミア運河ドニエプル川のカホフカ湖からクリミア半島東端のケルチまで,延長402.6km。1971年完成)が通過する。また地峡の東にはアゾフ海岸沿いにアラバツカヤ砂嘴がのび,内側にシバシ潟を抱いて浅海に古い砂嘴,砂堆などが複雑な海岸線を描いており,潟をまたぐ長いコンクリート橋によってモスクワからの道路と鉄道が通過している。戦略的要地のため,十月革命後の国内戦(1918-20),第2次世界大戦中に激しい攻防戦が行われた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペレコプ地峡」の意味・わかりやすい解説

ペレコプ地峡
ペレコプちきょう
Perekopsky peresheek

ウクライナ南部,クリミア半島 (クルイム半島) を本土に結びつける地峡。西に黒海のカルキニツキー湾,東にアゾフ海のシバシ湖を分ける。最狭部は 8km,最高点 20m。ステップ,半砂漠地帯である。 13世紀には半島を含めてタタール人領土となり,15世紀,先史時代にさかのぼる堀が再建され,要塞が建てられた。クリミア半島に達する唯一の陸路であったため古くから戦略上の要地として多くの戦争戦場となった。現在,ハイウェー,鉄道,北クリミア運河がこの地峡を通る。

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世界大百科事典(旧版)内のペレコプ地峡の言及

【クリミア半島】より

…そのほぼ全域がウクライナのクリミア自治共和国に属する。北端は幅わずかに8kmのペレコプ地峡によってつながり,ここを道路と南ウクライナ~北クリミア運河が通じている。東岸はアゾフ海に面し,砂嘴と潟湖が発達する。…

※「ペレコプ地峡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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