ボガンダ(英語表記)Boganda, Barthélemy

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボガンダ」の意味・わかりやすい解説

ボガンダ
Boganda, Barthélemy

[生]1910.4.4. フランス領赤道アフリカ中央コンゴ,ボバンギ
[没]1959.3.29. 中央アフリカ共和国,バンギ付近
ウバンギシャリ(中央アフリカ共和国)の政治家。1950年代,植民地から独立国に転じる重大局面で民族主義を主導フランス領赤道アフリカの 4植民地の政治家のなかではきわだって強い国民の支持を集めた。反植民地主義を主張する一方で実利的な考えをもち,植民地統治当局やヨーロッパの財界との交渉を通じて目的達成を目指した。農家に生まれ,ウバンギシャリで最初のアフリカ系カトリック司祭となる。カトリック伝道団のあと押しを受けて 1946年のフランス国民議会選挙に立候補し,植民地当局擁立候補を破って当選した。しかし,まもなく伝道団と対立してフランスのカトリック系政党人民共和派を離党し,司祭も離職。1949年に自身の政党,ブラック・アフリカ社会進歩運動を創設した。1957年,フランス領赤道アフリカ大評議会議長に就任。フランスの支配を離れてアフリカ人による連邦を形成し,将来はアンゴラベルギー領コンゴルアンダウルンディカメルーンも包含する「ラテンアフリカ連邦」を設立することを望んでいたが,1958年後半にこの夢が断たれると,中央アフリカ共和国の将来に関心を戻した。1958年12月に中央アフリカ共和国首相となり,独立前年の 1959年,不審な飛行機事故で死亡した。国外追放されたバンギ商工会議所の実業家らや,フランスの諜報機関,あるいは疎遠になっていた妻の関与が疑われた。国民からは国に殉じた英雄として崇敬されている。

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