kotobank > マキノ雅広とは
マキノ雅広 【マキノマサヒロ】
3件の用語解説(マキノ雅広で検索)
デジタル大辞泉の解説-
まきの‐まさひろ 【マキノ雅広】
[1908~1993]映画監督。京都の生まれ。本名、牧野正唯(まさただ)。日本映画の父といわれる牧野省三の長男。幼少のころから俳優として活躍、のちに映画監督となる。戦前・戦後を通じてリアルな時代劇の佳作を世に送り出した。代表作「浪人街」シリーズ、「殺陣師(たてし)段平」「次郎長三国志」シリーズなど。何度か改名しており、雅広は、正博・雅弘・雅裕と書いたこともあった。
この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説-
マキノ雅広 マキノ-まさひろ
 
1908-1993 昭和-平成時代の映画監督。
明治41年2月29日生まれ。牧野省三の長男。幼時から映画に出演。昭和2年「週間苦行」で監督となり,「崇禅寺馬場」,「浪人街」(2部作)などで評価される。戦後の作品に「次郎長三国志」「日本侠客伝」など。平成5年10月29日死去。85歳。京都出身。同志社大中退。前名は正博,雅弘(裕)。本名は牧野正唯。自伝に「映画渡世」。
この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2009.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。収録人物のデータは2009年1月20日現在のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
百科事典マイペディアの解説-
マキノ雅広【まきのまさひろ】
映画監督。本名牧野正唯。京都生れ。〈日本映画の父〉と称された牧野省三の長男。京都市立一中修了。4歳から子役で映画出演し,18歳の時《青い眼の人形》(1926年)で監督デビュー。(1908-1993)
※本文は出典元の用語解説の一部を掲載しています。
All Rights Reserved. Copyright(C)2008,2010, Hitachi Solutions ,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです
マキノ雅広に近い言葉→マキノ雅弘|マキノ〈町〉|牧野幹|滋賀県高島市マキノ町牧野|マキノ追坂峠|マキノ[町]|三重県四日市市まきの木台|滋賀県高島市マキノ町下|滋賀県高島市マキノ町沢|滋賀県高島市マキノ町浦
マキノ雅広の関連情報
「マキノ雅広」に関連するTwitter- Powered by twitter
ショッピング検索
「マキノ雅広」のスポンサー検索



