マゾフシェ(英語表記)Mazowsze

改訂新版 世界大百科事典 「マゾフシェ」の意味・わかりやすい解説

マゾフシェ
Mazowsze

ポーランド中東部,首都ワルシャワを中心に東のビスワ川支流のナレフ川,西ブーグ川流域の地方の名称。現在の行政区分では,ワルシャワ,プウォツクビヤウィストクなど8県。気候は穏やかな大陸性で,1月の平均気温は-3℃,7月は18℃,年間降水量は450~600mmである。地形的にはマゾフシェ・ポドラシェ低地がこれにあたる。広い河谷とはんらん原をもち,氷河堆積物のモレーン丘陵は標高50~200mで,最高地点は227mである。氷河性地形のため土壌はやせている。ライムギジャガイモが主要な農作物で,西部ではビートの栽培がみられる。畑地のほかに牧草地や広大に森林が広がる。マゾフシェの起源は9~11世紀に集住したスラブ系のマゾフシェ人に由来する。マゾフシェは10世紀には独立公国となったが,13世紀中葉に小封建領主に分解され,14~16世紀にはポーランド王国の支配下に入っていった。マゾフシェはワルシャワを除いておおむね経済的には後進地域である。第2次大戦後,農村の工業化が進められているが,経済発展の格差はなお大きい。人口5万人以上の都市は,首都ワルシャワ,ビヤウィストク,プウォツク,シェドルツェの4市にすぎず,都市発展の点でもみるべきものがない。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マゾフシェ」の意味・わかりやすい解説

マゾフシェ
Mazowsze

英語ではマゾビア Mazovia。ポーランド中東部,ウィスワ川中流域低地のワルシャワおよびチェハヌフを中心とする地方名。西はプウォツク,南はグルジェツを含み,東はビャウィストクに及ぶ。 10世紀前半にポーランド領に入り,ボレスワフ3世 (唇曲王〈在位 1102~38〉) の死後は息子たちの分立した公国の一つとなり,13~14世紀には公国は相続によりさらに細分化した。 1526年,マゾフシェ公の血統が絶え,この地方はポーランド王国領となり,96年にはワルシャワはクラクフに代ってその首都となった。ポーランド第3次分割後の 1796~1806年はプロシア占領下におかれ,07~15年はワルシャワ公国領,以後は 1918年のポーランド再興までロシア領「ポーランド王国」の中心となり,独立運動などでも指導的役割を果した。国家再建後もこの地方の指導性は非常に高い。

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