マタラム王国(読み)マタラムおうこく(英語表記)Mataram

山川 世界史小辞典 改訂新版 「マタラム王国」の解説

マタラム王国(マタラムおうこく)
Mataram

16世紀末~1755

中部ジャワジョクジャカルタを拠点にスナパティによって建国されたイスラーム王国。中部ジャワの豊かな農業盆地を有した王国は,米の輸出で繁栄した。17世紀前半の第3代スルタン・アグンの時代に全盛期を迎え,バンテン王国オランダ東インド会社の拠点バタヴィアを除く全ジャワを勢力下に置いた。17世紀後半のアマンクラット2世の時代に内紛が,また18世紀には王位継承戦争が生じ,オランダ介入を招いた。3回にわたる王位継承戦争の後,1755年ジョクジャカルタのスルタン王家とスラカルタのススフナン王家(1757年さらにマンクヌガラ王家が分立)とに分裂マタラムの名称は消滅した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マタラム王国」の意味・わかりやすい解説

マタラム王国
マタラムおうこく
Mataram

中部ジャワの2つの王国。 (1) 8世紀前半から 10世紀まで続いたヒンドゥー系の王国。同地方の仏教王朝シャイレーンドラ朝スマトラシュリービジャヤ王国との政略結婚の結果,ジャワからスマトラに本拠を移したため,サンジャヤという王の血統がこれに代って支配を確立したもの。サンジャヤ朝ともいう。 (2) 16世紀末から 18世紀なかばまで栄えたイスラム系王国。マジャパイト王国滅亡に導いたジャワ北岸のイスラム系小国家群の盟主で,第3代の王スルタン・アグンのとき,ジャワの大半を領したが,17世紀後半以後しばしば内紛を起し,そのたびにオランダの介入と領土の縮小を招き,1755年に領土を2分された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「マタラム王国」の解説

マタラム王国
マタラムおうこく
Mataram

1580年代〜1755
ジャワ中部から東部に展開したイスラーム王国
マタラム−イスラームともいう。17世紀前半の王アグンの治世最盛期で,版図最大になり,スルタンの称号も得た。しかし,その後内紛が繰り返されたため,オランダ東インド会社に海岸港市だけでなく豊かな稲作地帯も侵食され,1755年に王国は二分されて消滅した。

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