マディーナ・アッザハラ(読み)までぃーなあっざはら

世界大百科事典(旧版)内のマディーナ・アッザハラの言及

【コルドバ】より

…10世紀には,その周囲の城壁は全長12km,人口は10万,城壁外居住地区は21を数え,東方のバグダードやコンスタンティノープルとその威容を競った。4回の拡張工事で収容人員2万5000に達したメスキータ,蔵書数40万冊と伝えられる王宮図書館,北アフリカやビザンティン帝国からも石材を運んで造営されたマディーナ・アッザハラ(メディーナ・アサハーラ)の王宮(現在は廃虚)等から,この時のコルドバは〈西方の宝石〉とまで呼ばれた。そしてこの繁栄のコルドバからはイブン・ハズム,イブン・ルシュド(アベロエス),モーシェ・ベン・マイモン(マイモニデス)らが輩出した。…

※「マディーナ・アッザハラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」