ママチ遺跡(読み)ままちいせき

日本歴史地名大系 「ママチ遺跡」の解説

ママチ遺跡
ままちいせき

[現在地名]千歳市真々地四丁目

ママチ川の右岸、蛇行部に張出した標高一七メートルの平坦部に立地する縄文時代晩期を中心とする遺跡。遺跡は昭和四四年(一九六九)に知られ、翌四五年に五一〇平方メートル、同五六―五七年に三〇〇〇平方メートル、同六〇―六一年に一六六六平方メートルの調査が、一部重複するが隣接して行われた。三回の調査では樽前cテフラを挟んだ上下の黒色土から住居跡七軒(縄文中―後期二、同晩期二、擦文期四)、土壙三五基、土坑一千二三四基、焼土一七七ヵ所の遺構と約三一万点の遺物が発見されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ママチ遺跡」の意味・わかりやすい解説

ママチ遺跡
ママチいせき

北海道千歳市真々地,ママチ川北岸低台地東縁の平坦地に所在。過去数次の調査で,縄文時代晩期の土壙 (どこう) 墓等を発見。 1975,76年の第3次調査では,樽前C降下軽石層 (B.P.2300) を挟んで,下層の第 II黒色土層から縄文中~晩期の住居跡・土壙・焼土,上層の第I黒色土層から縄文晩期の住居跡・土壙墓・土壙多数・焼土等を検出。第I層の 27基の土壙墓は,縄文晩期後葉タンネトウL式期のもので,14基に土器,各種石器,黒曜石棒状原石,垂飾,玉等の副葬品が見られた。うち AP 310号土壙墓は長径 1.8m,深さ 0.7mのやや大型の土壙墓で,墓壙南西 (頭部側) には小穴を検出,木製墓標が存在した可能性がある。墓壙底より石鏃 (せきぞく) 1・剥片 252,墓壙のへりよりナイフ・土面を検出。この土面は,成人男子を表現すると思われ,縄文時代例では最も時期が下り,かつ最北の出土例で注目される。眼孔・口孔が貫通,両耳の上下2ヵ所に紐通し穴がある。髪部分にも穴があり,布・皮等の素材と複合構造を成すと考えられる。端正で無表情な表現は類例がなく,葬送儀礼に用いたと推定される。

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