ミーラー・バーイー
Mīrā Bāī
生没年:1499-1546
16世紀インドの女流詩人。熱烈なクリシュナ信徒として知られ,数々の伝説に包まれた人物。メールター国の王女に生まれ,1516年にメーワール国のボージュラージュ王子に嫁すが,数年で夫に先立たれ,また次々と父,義弟などの近親者を病と戦乱で失い,現世から離れてゆく。そのとき彼女が心に描いてすがったのが,ビシュヌ神の化身クリシュナである。ミーラー・バーイーがクリシュナを夫に見立てて熱烈に信仰し,苦行者,信仰者と行をともにすることが多くなると,婚家の人たちの不興を買い,さまざまな迫害をうけたという。彼女の宗教上の師,作品などについては種々の伝説があり実像が明らかでないが,《パダーワリーPadāvalī(讃歌集)》は彼女の真作と考えられている。それはラージャスターニー語を基本とし,南のグジャラーティー語,西のブラジュ・バーシャーの要素をも含む言語で書かれている。
執筆者:坂田 貞二
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ミーラー・バーイー
みーらーばーいー
Mīrā Bāī
(1498ころ―1546ころ)
インドのクリシュナ信仰のブラジバーカー語詩人。メーワールの王妃。若くして夫と死別、家を出て諸国を遊行(ゆぎょう)し、晩年はクリシュナゆかりの地ドワーリカーに住み、賛歌を歌い踊ることに専念した。ときには無属性の神、ときにはヨーガ行者の姿をした神をたたえているが、クリシュナ、とくに「ギリダル・ゴーパール」(山をもたげるクリシュナ)に捧(ささ)げるひたすらな愛と、別離の悲しみの歌が美しく、『ミーラー賛歌集』としていまなお愛唱されている。メーワール方言で書かれた作品もあり、グジャラート州では自州の文学者としているが、ほとんどの作品がブラジバーカー語に訳され歌われている。
[土井久弥 2018年5月21日]
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ミーラー・バーイー
Mīrā Bāī
[生]1450頃.クダキ
[没]1547頃.ドゥワールカー
インド,ヒンディー語の女流詩人。ラージャスターンの一王家に生れ,メーワールの王子ボージラージに嫁したが,夫の死後クリシュナ信仰に入り,クリシュナを夫として,愛を賛歌に表わした。
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世界大百科事典(旧版)内のミーラーバーイーの言及
【インド文学】より
…ラーマ信仰の作品では,[トゥルシーダース]の叙事詩《ラーム・チャリット・マーナス》,ナーバーダースの《バクト・マール(熱烈信仰者列伝)》(16世紀末)などが今日なお親しまれている。クリシュナ信仰の主要作品には,[ビディヤーパティ]の《パダーワリー(賛歌集)》,[スールダース]の《スール・サーガル》,[ミーラー・バーイー]の《パダーワリー》(16世紀)などがある。ラーマ信仰文学もクリシュナ信仰文学も,それぞれの教団・教派の僧の手になるものが多いが,世俗の信徒の寄与も大きい。…
【ヒンドゥー教】より
…北インドでは,神の唱名を繰り返す唱歌から発達した[バジャン]によって信仰が広められた。女流詩人[ミーラー・バーイー](1498ころ‐1563ころ)は,シバ信仰の家柄に生まれたが,クリシュナへの信仰に篤く,神の前に座し,神に話しかける形の,地方語で書かれた詩はたいへん美しく,現在なお愛唱されている。また有名な[トゥルシーダース],[カビール]などもバジャンの音楽様式の発展に大きく貢献している。…
※「ミーラーバーイー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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