日本大百科全書(ニッポニカ) 「メロン財閥」の意味・わかりやすい解説
メロン財閥
めろんざいばつ
アメリカの利益集団(インタレスト・グループinterest group)の一つで、モルガン財閥、ロックフェラー財閥に次ぐ強大な勢力を誇る。ピッツバーグやフィラデルフィアを拠点とする地域集団の形をとっており、ボストン集団やシカゴ集団と近い性格をもっている。
メロン財閥の創始者はスコットランドやアイルランドに地盤をもった長老教会派の代表的な人物トーマス・メロンThomas Mellon(1813―1908)である。彼は父親とともに1818年に北アイルランドからペンシルベニアへ移住してきた。この地で農地開発に携わって成功した父親に続き、トーマスはピッツバーグ大学を卒業後、弁護士となって財をなし、ピッツバーグ周辺の不動産投資で大成功した。その後、南北戦争のブーム期に石炭産業に投資して、林業、銀行業へと利益を投じていった。1860年代には鋳物工場、機械工場へと広げ、法律の仕事を辞めて、実業と金融業に全力を注ぐようになった。1870年には財閥発展の基礎を築いたT・メロン・アンド・サンズ銀行T. Mellon & Sons' Bankを設立して、カーネギー・スチールへも融資するようになった。
[奥村皓一]
財閥グループの形成
トーマスの息子アンドリュー・W・メロンは、父トーマスの銀行経営を1882年に引き継ぎ、85年にピッツバーグの投資家たちと共同でアルミニウム産業への投資を開始した。91年にはトーマスとアンドリューの弟リチャード・B・メロンが、アルミニウム製錬会社のピッツバーグ・リダクション社Pittsburgh Reduction Co.設立に際して援助を行い、T・メロン・アンド・サンズを主力銀行とするアルミニウム製造の独占会社を誕生させた(1930年までにメロン一族の所有比率は33%に増えた)。続いてジョージ・ウェスティングハウスの協力を得て、電灯会社へも投資を広げた。ピッツバーグ・リダクション社は1909年にアルミナム・カンパニー・オブ・アメリカ(現在のアルコア)に改称され、国内外のアルミニウム生産への資本参入を阻止し、半世紀にわたってアルミ製造の完全独占企業としてメロン財閥の蓄財に貢献した。
アルミニウム産業への投資と並んで、メロン家が手がけた最大の事業は1890年から着手した石油産業への投資であり、それはロックフェラーのスタンダード石油に対抗したものであった。1901年、テキサス州のスピンドルトップで油脈が発見され、テキサス州ポート・アーサーに大精油所を建設した。続いて、オクラホマ、ルイジアナ、西テキサスに油田を発見。メロン財閥は1901年の油脈発見と同時に設立されたJ・M・ガッフィー石油へ資金援助を行い、後の統合一貫石油会社ガルフ石油へと発展させていった。
T・メロン・アンド・サンズ銀行は1902年にメロン・ナショナル銀行Mellon National Bankに継承される一方、同財閥の中核となる金融機関としてユニオン・トラストAndrew Mellon's Union Trust Co.が設立された。また、1900年代最初の10年間は、メロン・ナショナル銀行がピッツバーグやボストンの中小銀行を次々と買収した時期でもあった。メロン・ナショナル銀行を中核としたメロン集団が形成される一方で、アンドリューは1920年からペンシルベニアの政界に打って出て、翌21年にハーディング政権下の財務長官となり、続くクーリッジ政権、フーバー政権下でも財務長官を務め、メロンの事業は弟のリチャードとウィリアムが経営にあたった。1930年代から40年代にかけて、ガルフ石油はアメリカ第4位の石油メジャー(国際石油資本)にまで大きくなり、メロン・ナショナル銀行もアメリカ有数の銀行となった。
[奥村皓一]
グループの現代化
メロン3代目の経営者リチャード・キング・メロン(リチャード・B・メロンの息子)は、1945年にメロン・ファミリーの総帥の地位を得てメロン財閥の現代化にとりかかった。メロン・ナショナル銀行、財閥傘下の中核企業であるアルコア、ガルフ石油をはじめ、ウェスティングハウス、ユナイテッド・テクノロジーズUnited Technologies Corp.、コンソリデーション・コールConsolidation Coal Co.、コパーズKoppers Co.、PPGインダストリーズPPG Industries, Inc.(かつてのピッツバーグ板硝子(ガラス))などグループ企業の経営をテクノクラートの手に委ねることにした。アルコアの場合は、モルガンとの共同支配でメロン一族は最大株主として投資の安全を図る体制ができていたが、ウェスティングハウスはロックフェラーのチェース銀行との、ユナイテッド・テクノロジーズではシティ銀行との共同支配へと切り替えていった。
第二次世界大戦後、経営の第一線から身を引いていたメロン一族は、メロン金融帝国の再編・強化を図り、これも経営テクノクラートの手腕に委ねることにした。証券会社のメロン・セキュリティーズはロックフェラーと関係の深い巨大投資銀行ファースト・ボストン(現クレディスイス・ファーストボストン)と合体させ、1946年にはメロン・ナショナル銀行とユニオン・トラストを統合して、メロン・ナショナル・バンク・アンド・トラストMellon National Bank and Trust Co.を設立(後に持株会社としてメロンバンクMellon Bank Corp.に改称)。その後、メロン家はゼネラル・モーターズ(GM)、パン・アメリカン航空、ロッキード(現ロッキード・マーチン)、ペンシルベニア鉄道といったグループ外の多国籍企業への投資を増やしていくこととなった。なお、ガルフ石油は1978年の第二次石油危機以後に経営が悪化し、84年3月、ロックフェラーの旧スタンダード系資本のシェブロン(旧カリフォルニア・スタンダード石油)に救済買収された。
1990年代に入り、シカゴ集団とデトロイト集団、オクラホマ集団の銀行が合併するなど、アメリカの地方財閥集団が合併統合で大型化していく傾向が強まるなか、メロン集団は近隣のボストン集団との接近を強めている。1998年には、メロンバンク(1999年メロン・フィナンシャルMellon Financial Corp.に改称)がバンク・オブ・ニューヨークに総額230億ドルの対抗買収を仕掛けられ、バンクボストン(現フリートボストンFleetBoston Financial Corp.)が救済買収を申し入れるという場面もあった。
[奥村皓一]