イランの民族主義政治家。カージャール朝の大臣を父、皇女を母として大地主の家に生まれる。フランス、スイスに留学後、1914年イラン南部の州知事に任命され、1923年議員に選出されたが、パフラビー朝(1925~1979)を興したレザー・シャーの独裁を批判し、1951~1953年の石油国有化運動ではパーレビ(パフラビー)国王と鋭く対立した。1951年首相就任後、イギリスの国策会社アングロ・イラニアン石油Anglo-Iranian Oil Co.(ブリティッシュ・ペトロリアムの前身)の諸施設を接収した。しかし、接収後のイラン国営石油会社National Iranian Oil Co.(略称NIOC)はイギリス、アメリカにより国際市場から排除され、石油収入は急減した。経済危機のなかで、モサデクの指導する国民戦線から宗教勢力(カーシャーニー派)が離反し、アメリカも反モサデク・クーデター(1953年8月)を通じてパーレビ国王を支持した。逮捕されたモサデクは3年の実刑終了後も、1967年死亡するまで所有する村に軟禁された。イラン独立の追求、外国の支配する石油産業への挑戦などが、モサデクを国民的英雄としてきたが、イラン革命後の彼への評価は革命直後を除き、高くない。
[加納弘勝]
自動車税は自動車(軽自動車税の対象となる軽自動車等および固定資産税の対象となる大型特殊自動車を除く)の所有者に対し都道府県が課する税であり、軽自動車税は軽自動車等(原動機付自転車、軽自動車、小型特殊自...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新