ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヤギェウォ朝」の意味・わかりやすい解説
ヤギェウォ朝
ヤギェウォちょう
Jagiełłonowie
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ポーランドの王朝(1386~1572)。ヤゲロ朝ともいう。リトアニア大公ヤギェウォJagiełło(1348―1434。在位リトアニア大公1377~92、ポーランド王1386~1434)が、1385年ポーランドと同盟を結び、翌年ポーランド女王ヤドビガと結婚して、ポーランド王ウワディスワフ2世となったことによって始まる。この王朝のもとで、ポーランドのシュラフタ(特権的身分)階級はしだいに諸特権を獲得し、その地位を向上させた。16世紀にはルネサンス文化が開花し、「黄金の世紀」とよばれた繁栄の時代を迎え、ポーランドの国際的地位も上昇した。またヤギェウォ朝は、ハンガリー王位(1440~44、1490~1526)とチェコ王位(1471~1526)にもつき、ヨーロッパの国際政治において重要な役割を果たした。
[安部一郎]
1386~1572
ポーランドの王朝。リトアニア大公ヨガイラが,1385年クラクフ条約によってポーランドとの合同を宣言し,翌年ポーランド女王ヤドヴィガと結婚して,ポーランド王とリトアニア大公を兼摂。名もヴワディスワフ2世ヤギェウォ(Jagiełło)と改めた。ヤギェウォ王朝の名はここから生まれた。その後,ハンガリー,チェコの王位を兼ねた王も現れて,この時代は中世ポーランド史の輝かしい時代とされている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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