ラジオを通じて伴奏音楽と号令にあわせて行う体操。正しくは「国民保健体操」といい、国民の毎日の健康の保持増進を目的につくられた。ラジオ体操というのは日本放送協会(NHK)のラジオで放送され、国民に広く親しまれていることからくる俗称である。1928年(昭和3)逓信(ていしん)省簡易保険局長であった猪熊貞治は、当時アメリカにおいて、保健事業の一環として、ラジオによって体操が放送され、国民の健康を増進していることに着目し、当時文部省体育課長であった北豊吉と相談し、NHKのラジオ放送によって体操を実施することを企画した。大谷武一ら数人の委員が十数回協議を重ねた結果、11月1日から放送が始められた。この体操はきわめて基本的でわかりやすく、年齢・性別を問わず、だれにでも手軽にできるうえ、ユニークな音楽のリズムと放送指導を担当した江木武彦指導員の個性的な放送が国民に受け、各方面で大歓迎された。NHKはとくに8月には早朝ラジオ体操会を催し、また専門の指導員を派遣するなど普及に努めたので、愛好者はいっそう増加していった。さらに1930年、全日本体操連盟(現日本体操協会)によって、第一体操よりやや高度な第二体操が作成された。第二体操は第一体操に比較して内容も多く、運動もやや複雑であるが、振動形式が多くリズミカルである。占領期間中一時中止されたが、第一体操が1951年(昭和26)、第二体操が52年装いを新たにして再開した。1957年にはNHKテレビでのテレビ体操も始まった。ラジオ体操は国民の健康増進と体操の普及に大きく貢献している。
[上迫忠夫]
NHKラジオ放送による号令に合わせて行う体操。アメリカのメトロポリタン生命保険会社が健康増進,衛生思想の啓蒙を図る意図から1925年に考案した体操を手本に,当時の日本の逓信省簡易保険局が日本での実施を計画,28年国民保健体操として制定した。同年11月に天皇の御大典記念事業の一環としてラジオ放送を行い,別名ラジオ体操の名称で呼ばれるようになった。45年まではラジオ体操は国民皆体操として普及し,第1体操のほか,第2体操(大日本国民体操),さらに縄跳体操も放送された。45-47年には女性の指導者による第1~第3ラジオ体操が放送され,中断をはさんだものの51年5月には新ラジオ体操(第1体操)が作成されて放送され,52年には第2体操も加わり現在に至っている。第1,第2体操それぞれ約3分間で13種の基本的動作を行い,そのエネルギー量は15~20カロリー程度である。
執筆者:青山 敏彦
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