ラーコシ(英語表記)Rákosi Mátyás

デジタル大辞泉 「ラーコシ」の意味・読み・例文・類語

ラーコシ(Rákosi Mátyás)

[1892~1971]ハンガリー政治家。1945年共産党書記長となり、1952年首相就任独裁政治を断行して反発をうけ、1956年のハンガリー動乱の際にソ連に逃れ客死。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラーコシ」の意味・わかりやすい解説

ラーコシ
Rákosi Mátyás

[生]1892.3.14. セルビア,アダ
[没]1971.2.5. ソビエト連邦,ゴーリキー
ハンガリーの政治家。ハンガリー共産党書記長(在任 1945~56),首相(在任 1952~53)。ロシアで戦争捕虜となったあと,1918年に帰国。1919年クン共産政権下で人民委員として社会主義的生産活動に携わったが,反革命派が実権を握るとモスクワへの亡命を余儀なくされた。1924年帰国,翌 1925年逮捕され,1927年,禁固刑を言い渡された。1934年再び逮捕され終身刑となったが,1940年にモスクワへの亡命を許された。1944年,ソビエト連邦軍とともに帰国すると,ハンガリー勤労者党(→社会主義労働者党)書記長となり,新たに組織された国家保安局 AVOの助けを得て,全政治権力を掌握した。筋金入りのスターリン主義者で,1949~53年党首として,また 1952年からは首相として絶大な権力をふるったが,1953年7月,ヨシフ・V.スターリンの死をうけ首相の地位を改革派のナジ・イムレに譲らざるをえなくなった。それでもなお党書記の座にとどまり,1955年にはナジを免職に追い込んだが,翌 1956年,党のすべての役職から追放された。ラーコシのかたくななスターリニズムとソ連政府への追随ぶりは広く国民不興を買い,1956年10月のハンガリー動乱の際,再びソ連へ亡命した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラーコシ」の意味・わかりやすい解説

ラーコシ
らーこし
Rákosi Mátyás
(1892―1971)

ハンガリーの政治家。アダ出身。1919年のハンガリー革命の際の人民政治委員。政権崩壊後、ソ連へ亡命した。1924年に帰国し共産党再建を試みたが、1925年以降長期間投獄された。1940年に釈放されてソ連へ行き、1945年に帰国して党書記長に就任した。1952~1953年には首相をも兼任し、「小スターリン」として全権を行使した。1955年以後党内外から粛清の責任を追及する気運が強まり、それを力により抑圧しようとしたが、事態の険悪化を恐れたソ連の勧告で1956年7月に党書記長を解任され、同年秋のハンガリー事件の際にソ連に逃れた。1962年に党も除名になり、1971年にゴーリキー(ニジニー・ノブゴロド)市で客死した。

[木戸 蓊]

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百科事典マイペディア 「ラーコシ」の意味・わかりやすい解説

ラーコシ

ハンガリーの政治家。第1次大戦中ロシアの捕虜となり共産主義の影響を受け,帰国後ハンガリー共産党創立に尽力。クンの革命失敗後亡命,コミンテルンの書記。第2次大戦後帰国,1944年党書記長,1952年首相となったが,1956年ハンガリー事件で失脚,ソ連に亡命。
→関連項目ハンガリー社会主義労働者党

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