ルアンダ・ウルンジ(読み)るあんだうるんじ(英語表記)Ruanda Urundi

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルアンダ・ウルンジ」の意味・わかりやすい解説

ルアンダ・ウルンジ
るあんだうるんじ
Ruanda Urundi

アフリカ中部、現在のルワンダブルンジを占める地域の植民地時代の呼称。それぞれ王国を形成していたが、1885年のイギリスドイツ間の境界協定により、1890年ドイツ領東アフリカの一部となった。第一次世界大戦後はベルギーによる国際連盟の委任統治領となり、第二次世界大戦後は同じく国際連合信託統治領となった。ドイツ、ベルギー領時代を通じ王の存在は認められていたが、ルアンダは1959年王制を廃止して1962年ルワンダ共和国として独立した。一方ウルンジは同1962年ブルンジ王国として独立、1966年共和国へ移行した。両国高原という自然環境、社会、文化など共通点が多い。

[赤阪 賢]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のルアンダ・ウルンジの言及

【ブルンジ】より

…84‐85年のベルリン会議の後,ブルンジ王国はドイツの勢力圏下に入り,90年にドイツ領東アフリカの一部となった。植民地政府は王の権限を保全して間接統治を行い,99年にはルワンダを併せてドイツ領ルアンダ・ウルンジRuanda‐Urundiを構成した。 第1次大戦中の1916年,西隣のベルギー領コンゴから進攻してきたベルギー軍が占領し,23年に国際連盟はベルギーに委任統治権を与えた。…

【ルワンダ】より

…アフリカの分割を決めた1884‐85年のベルリン会議の後,東アフリカにおけるドイツの勢力圏は拡大され,94年にはゲッツェンAdolf von Götzenがヨーロッパ人として初めてキブ湖に到達し,続いてカトリック伝道団がルワンダに入っていった。99年にルワンダ王はドイツに服従し,ブルンジとともにドイツ領ルアンダ・ウルンジRuanda‐Urundiを構成した。 第1次世界大戦中の1916年,ベルギー領コンゴから侵攻してきたベルギー軍に占領され,23年にベルギーの国際連盟委任統治領となった。…

※「ルアンダ・ウルンジ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android