ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レスター(伯)」の意味・わかりやすい解説
レスター(伯)
レスター[はく]
Leicester, Robert Dudley, Earl of
[没]1588.9.4. オックスフォードシャー,コーンベリー
イングランド女王エリザベス1世の寵臣。ノーサンバーランド (公)ジョン・ダッドリーの5男。 1553年父の陰謀のため一時投獄されたが翌年許され,エリザベス1世の登位後,女王の寵を得て急速に昇進し,59年枢密顧問官。長身,美貌の持主で,女王の心をとらえ,妻帯していたにもかかわらず,女王の結婚相手と目された。 60年妻エミー・ロブサート (1532~60) が居城カムナー館で謎の墜死をとげたことから,女王との結婚を望んだ彼が殺させたものと噂された。しかし女王との結婚はかなわず,64年スコットランド女王メアリー・スチュアートの花婿候補に推され,伯爵に叙せられたが,メアリーとの結婚も実現せず,78年エセックス伯 (初代) の未亡人レティス・ノールズと再婚。政治的には反スペイン,反カトリックを強硬に主張し,85年女王からオランダ独立援助軍司令官に任じられたが,戦術家としては無能で,オランダ側と摩擦を生じ,87年召還された。 88年スペインの無敵艦隊出撃に際して,イギリス軍の総司令官に任じられた。文学,演劇のパトロンとしても知られる。
レスター(伯)
レスター[はく]
Leicester, Robert Sidney, 1st Earl of
[没]1626.7.13. ケント,ペンズハースト
イギリスの軍人,外交官。 H.シドニーのニ男。 1585年下院議員,同年ネーデルラントに渡り,1587年まで伯父のレスター伯ロバート・ダッドリーのもとでスペインと戦った。次いでフラッシングの総督,騎兵指揮官を務めた。 1590~92年再びネーデルラントで従軍。 1593~94年外交使節としてフランスに赴く。 1598年三たびネーデルラントに行き,1603年ジェームズ1世の即位とともに帰国。シドニー男爵,リール子爵に叙せられ,1618年伯父の死によって廃絶していたレスター伯となった。郷里での生活は B.ジョンソンの詩にうたわれている。
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