ドイツの美術史・文化史家。現代的な「イコノロジー(図像学)」の創始者とされるだけでなく、視覚文化研究およびイメージ論の分野でその影響力はきわめて大きい。ユダヤ人銀行家の長男としてハンブルクに生まれる。ボン大学で学んだのち、論文「サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》」Sandro Botticellis “Geburt der Venus” und “Frühling”により、1892年ウィルヘルム皇帝大学(現フランスのストラスブール大学)で博士号取得。一族の財力を背景として、大学に所属することなく、イタリア・ルネサンス文化を中心とする独自な資料収集を行い、これが1926年にハンブルクに設立された研究機関ワールブルク文化科学図書館(ナチス時代にロンドンに移転し、第二次世界大戦末からロンドン大学ワールブルク研究所)に結実する。
処女作であるボッティチェッリ論は、ルネサンス人の心理的特性を、古典古代の造形芸術や文学作品を範型とした表現、とりわけ細部の運動表現のなかに探っている。こうした「古代の残存」はワールブルク終生のテーマであり、とくに激しい情念を表現するにあたって繰り返し利用された古代作品の身ぶりを彼は「情念定型」と名づけ、その形態論的な持続と変容の過程を追究した。
ワールブルクのルネサンス研究は、フランドル美術がフィレンツェの初期ルネサンス芸術に与えた影響を探る一方で、教会に自分の蝋人形を奉納する風習との比較から、肖像絵画がフィレンツェの社会で果たしていた機能を考察するといったように、他地域、他ジャンルとの交流や相互関係からなる、多岐にわたる文化的ネットワークの解明を主眼としていた。その過程でルネサンスの視覚文化における重要な研究領域として発見されたのが占星術の図像である。
1912年の国際美術史学会における講演「フェッラーラのスキファノイア宮殿におけるイタリア美術と国際的占星術」は、占星術的な意味をもつ壁画の人物像を、古代ヘレニズムの世界からインドに渡り、そこからアラブ圏を経てヨーロッパに回帰した、イメージの国際的移動の産物として解読している。
ワールブルクの精神状態は、幼少時から不安や強迫観念にとらわれがちだったが、第一次世界大戦におけるドイツの敗北は被害妄想の発作を招き、18年秋には病院に収容され、のちにスイスにある精神科医ビンスバンガーの療養所に転院している。この間、助手フリッツ・ザクスルFritz Saxl(1890―1948)の助けを借りて論文「ルター時代の言葉と図像における異教的・古代的な予言」Heidnisch-antike Weissagung in Wort und Bild zu Luthers Zeitenを21年完成、発表した。23年、思考能力の回復を証明するため、1895~96年のアメリカ旅行の経験をもとに、蛇という象徴の文化的意味をめぐる講演「蛇儀礼――北アメリカ、プエブロ・インディアン居住地域からのイメージ」を行う。翌年退院し、ハンブルクに帰郷。26年、蔵書の独自な分類によっても知られるワールブルク文化科学図書館が開館し、エルンスト・カッシーラーをはじめとする学者、知識人からなる知的ネットワークの中心となる。ワールブルクはこののちハンブルクで急死するまで、ギリシア神話の記憶の女神の名を借りて「ムネモシネ」と名づけられた図像地図のパネルを数十枚にわたって作成し続けた。これは黒いスクリーン上に構成された、美術作品の写真や書籍図版、あるいは雑誌、新聞、広告の切り抜きからなる一種のモンタージュであり、ワールブルクの生涯の研究活動を圧縮するようにして、図像のみで表現した記録である。主著と呼ばれるものを残さなかったワールブルクは、断片的な印象を与える論文と無数の覚え書き、そして、未完に終わったこの図像の星座がはらむ、狂気と知の間を激しく往還する情念の震動によって、ヨーロッパ文化のイメージ記憶の深層に達する洞察を伝えている。
[田中 純]
『伊藤博明監訳「サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》――イタリア初期ルネサンスにおける古代表象に関する研究」(『ヴァールブルク著作集1』所収・2003・ありな書房)』▽『加藤哲弘訳「蛇儀礼――北アメリカ、プエブロ・インディアン居住地域からのイメージ」(『ヴァールブルク著作集7』所収・2003・ありな書房)』▽『E・H・ゴンブリッチ著、鈴木杜幾子訳『アビ・ヴァールブルク伝――ある知的生涯』(1986・晶文社)』▽『松枝到編『ヴァールブルク学派――文化科学の革新』(1998・平凡社)』▽『田中純著『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』(2001・青土社)』
ドイツの生化学者。20世紀前半における生化学のパイオニアの一人。フライブルクで物理学者の子として生まれる。ベルリン大学でフィッシャーに師事し、のちハイデルベルク大学に学んだ。1931年以降、死亡するまで、ベルリン・ダーレムに新設されたカイザー・ウィルヘルム(1953年以後はマックス・プランク)細胞生理学研究所長として研究を続けた。ワールブルク検圧計という、細胞や組織のガス交換を精密に測定する計器を考案し、この器械はその後多くの研究室で広範に使用された。彼の研究業績を大別すると、細胞呼吸、光合成、癌(がん)になる。まず細胞呼吸のメカニズムに関する研究は、彼の研究のなかでもっとも重要なものであり、呼吸に対する低濃度の青酸や一酸化炭素の強い阻害作用の知見から、鉄・ポルフィリンをもった酸化酵素(ワールブルク呼吸酵素とよばれた)の発見など、その後の細胞呼吸の研究の端緒をつくった。この研究で1931年ノーベル医学生理学賞を受けた。また金属を含まないフラビン酵素(黄色酵素)、糖代謝におけるペントースリン酸回路(ワールブルク‐ディケンス回路)、六炭糖リン酸脱水素酵素、NADP(TPN、助酵素Ⅱ)などを発見した。光合成に関しては、光量子(光子)収量を最初に測定した。癌については、癌細胞の代謝に関する先駆的な研究を行った。
[宇佐美正一郎]
ドイツの物理学者。ハイデルベルク大学でキルヒホッフに学び、実験物理学にひかれる。1872年、ストラスブールのカイザー・ウィルヘルム大学(現、ストラスブール大学)で、クントとともに気体の統計理論を研究、気体の熱伝導と比熱に関する法則を発見した。1876年から20年間、フライブルク大学で、気体の研究を続けるとともに、強磁性体の磁化における履歴現象(ヒステリシス)の実験的発見と理論的説明、物質の電気伝導、ガス放電などの研究を行っている。研究者であると同時に実験物理学の優れた指導者でもあって、1895年ベルリン大学教授となってから、多数の学徒が彼のもとから巣立ち、近代物理学の発展を担った。主著『実験物理学教科書』(1893)は、彼の生存中だけでも22版を重ねた。息子オットーは生理学者として知られる。
[今野 宏]
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ドイツの美術史家。ユダヤ系の富裕な銀行家の家に生まれ,生地ハンブルクに美術史の文献を中心とした〈ワールブルク文庫〉を創設。文庫はナチスに追われて1934年ロンドンに移転,ロンドン大学付属ワールブルク研究所となる。彼は,当時全盛の様式批判による美術史に対して,作品の主題的側面が芸術家やパトロンたちにとって重要な意味を有していたことを,主としてイタリア初期ルネサンス美術の研究を通じて主張。その画期的なボッティチェリ論(1893)によって拓かれ,後にパノフスキー等の図像学(イコノロジー)として結晶した彼の美術史的方法の基本は,すでに文庫の構成に組み込まれており,現在の研究所に継承されている。ルネサンス美術史研究に,古典古代はもとより東洋美術への視点も取り入れた彼の視野の広さは,研究所の活動を通じて,美術史のみならず20世紀の文化史,哲学史研究などに多大の影響を及ぼした。なお,研究所所長をつとめたゴンブリッチによる伝記がある。また,銀行家のパウル・モーリッツは弟である。
執筆者:鈴木 杜幾子
アメリカのユダヤ系銀行家。1798年に設立されドイツの大銀行に発展したワールブルク商会を経営するワールブルク家の子としてハンブルクに生まれた。1894年から数年間は同社に参加したが,その後アメリカに渡り,1902年にニューヨークの銀行クーン・ローブ商会の社員,11年にアメリカ市民となった。彼はヨーロッパのような中央銀行をアメリカにも設置するように議会に働きかけたが,13年に制定された連邦準備法では,統一的な中央銀行は設立されなかった。14年から4年間,連邦準備制度理事会のメンバーを務めた。その後も,国際引受銀行International Acceptance Bankの会長のほか,信託会社,鉄道会社の重役を務めるかたわら,《連邦準備銀行制度》(1930)を著すなど精力的に活動し,アメリカの金融政策に大きな影響力をもった。
執筆者:新宅 純二郎
ドイツの生化学者。ベルリン大学,ハイデルベルク大学。E.フィッシャーから化学を,また物理学者であった父E.G.ワールブルクから物理学と光化学などを学ぶ。1914年カイザー・ウィルヘルム協会(後のマックス・プランク協会)の細胞生理学研究所所員,37年同研究所所長。彼の考案したワールブルク検圧計(1918)は,20世紀前半の生化学で広く用いられた。呼吸酵素(1920年代),トリホスホピリジンヌクレオチド(TPN,現在はニコチンアミドアデニンジヌクレオチドNADPと改称)の発見(1935)をはじめ,呼吸,解糖系,また光合成の生化学で業績を挙げた。腫瘍組織では解糖活性が高いとの理論を提唱した。1931年,呼吸酵素の研究業績に対してノーベル医学・生理学賞が与えられた。
執筆者:長野 敬
ドイツの物理学者。ハイデルベルク大学で物理学と化学を学び,ベルリン大学で学位を取得。1872年,新設されたカイザー・ウィルヘルム大学の臨時教授となり,A.クントとともに気体分子運動論に関する実験的研究を行う。76年から95年までフライブルク大学の物理学教授をつとめ,弾性余効の研究からJ.A.ユーイングとは独立に強磁性体のヒステリシスを実験的に見いだした。95年からはクントの後任としてベルリン大学の実験物理学の教授となり,多くの研究者を養成した。なお,生化学者のO.H.ワールブルクは息子。
執筆者:日野川 静枝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ドイツの生化学者.父はベルリン大学の物理学者E.G. Warburg.ベルリン大学,ハイデルベルク大学で化学を学び,E.H. Fischer(フィッシャー)のもとで学位を取得.その後,ハイデルベルク大学で医学も修めた.1914年カイザー・ウィルヘルム協会生物学研究所所員,1931年より新設の同細胞生理学研究所所長(戦後マックス・プランク協会細胞生理学研究所と改称)となる.ワールブルク圧力計を考案して細胞呼吸を研究した.1921年鉄による酵素活性化説を唱え,H.O. Wieland(ウィーラント)の水素活性化説や,D. Keilinのシトクロム説と論争し,のちの電子伝達系研究への道をひらいた.また,光合成の研究も行い,光量子収量を測定,1950年に1分子の酸素生成には,1光量子でよいとする説を唱えた.そのほか,がん細胞の代謝やアルコール発酵の研究,とくにトリホスホピリジンヌクレオチド(CoⅡ,NADP)の発見や,細胞呼吸で重要な役割を果たすフラビンモノヌクレオチド(FMN),フラビンアデニンジヌクレオチド(FAD)の発見など多くの業績を残す.細胞呼吸の研究に対し,1931年ノーベル生理学・医学賞を受賞した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
…他方,古代神話・寓意等キリスト教以外の図像についても近世以来一貫して研究が行われてきた。 現代の図像学の発端は,一般にA.ワールブルクが1912年に発表した15世紀イタリアの月暦画についての研究報告に認められている。ハンブルクに起こり,後にロンドンに移った彼の学派(ワールブルク研究所)から,優れた研究者が多数出たが(ゴンブリッチ,ザクスルF.Saxlなど),第2次大戦後の学界に決定的影響を与えたのはパノフスキーである。…
…こうした人間の原質を求める動きは,精神分析家にとどまらず,ワイマール文化を担った人々にみられる。ワールブルク研究所をつくったA.ワールブルクは,美術史から古代人のシンボル研究に向かったし,法制史家のバハオーフェンは考古学からシンボルの解読を通して母権制を発掘した。 かくてワイマールの思想は,人類学の視点を変えた。…
…ロンドン大学に所属する研究所で,とりわけルネサンス研究の面で名高い。ドイツの富裕な美術史家A.ワールブルクは,古代美術の伝統についてとくに関心を深め,これについての豊富な蔵書を備えた文庫を1905年ハンブルクにつくった。やがて友人ザクスルF.Saxlを管理責任者として研究所へと発展し(1921),パノフスキーやカッシーラーなどが同研究所に関係するようになって,ルネサンス研究の一大中心とみなされるようになった。…
…生体内においては,ピリジンヌクレオチドと並んで,多くの電子伝達系酵素反応に重要な役割を演じているが,中でもD‐アミノ酸酸化酵素,グルコースオキシダーゼ,各種酸素添加酵素の反応がよく知られている。もともと,ワールブルクO.Warburgらが酵母から分離した黄色酵素(1932)の補酵素としてFMNを発見したのにひき続き,1938年にD‐アミノ酸酸化酵素の補酵素としてFADが発見された。【徳重 正信】。…
…生体内においては,ピリジンヌクレオチドと並んで,多くの電子伝達系酵素反応に重要な役割を演じているが,中でもD‐アミノ酸酸化酵素,グルコースオキシダーゼ,各種酸素添加酵素の反応がよく知られている。もともと,ワールブルクO.Warburgらが酵母から分離した黄色酵素(1932)の補酵素としてFMNを発見したのにひき続き,1938年にD‐アミノ酸酸化酵素の補酵素としてFADが発見された。【徳重 正信】。…
※「ワールブルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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