デジタル大辞泉
「七条」の意味・読み・例文・類語
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しち‐じょう ‥デウ【七条】
〘名〙
① 七つのすじ。また、七つの箇条。七つの項目。
※続
日本紀‐慶雲三年(706)二月庚寅「又制
二七条事
一」 〔旧唐書‐傅仁均伝〕
② 糸、
琴糸などの、七つのすじ。転じて琴のこともいう。
※菅家後集(903頃)感吏部王弾琴「栄啓後身吏部王。七条糸上百愁忘」 〔
薛能‐秋夜聴任即中琴詩〕
③ 七つの通り、また、北側から数えて七つめの
大通り。特に、京都の七条大路をいう。
※続日本後紀‐承和七年(840)六月癸丑「改二本居一、貫二附左京七条二坊一」
※宇治拾遺(1221頃)一一「さて、やりもてゆきて、七条の末にやり出だしたれば、京よりはまさりて、入水の聖拝まんとて、
川原の石よりもおほく、人つどひたり」 〔王褒‐日出東南隅行〕
※
御伽草子・
三人法師(室町末)「衣の破れたるに、七条をかけて、
看経ありしが、
道行にやせて、色黒み、そのさま衰へてあれども」 〔有部百一羯磨〕
しちじょう シチデウ【七条】
姓氏の
一つ。藤原北家の
道隆の六世孫信隆が、京都七条の地に邸を構え、その
地名がそのまま
家名となって、七条家の祖となった。信隆の女で
後鳥羽天皇の
生母であった殖子は、
七条院と称せられている。このほかに、七条将軍と号した九条流藤原頼経を祖とする七条氏、
江戸時代の水無瀬流七条氏等がある。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
七条
ななじよう
[現在地名]岩見沢市七条西・七条東
昭和二九年(一九五四)当時、西は一五丁目、東は六丁目まであった。東部を利根別川が流れる。七条通の両側には明治一七年(一八八四)の入植者の住居が建てられ、早くから市街地が形成された。昭和三一年発行の岩見沢市街案内地図などによると、西一丁目に岩見沢警察署(現在十条東に移転)・石黒醸造工場(現石黒地所)、西六丁目に曹洞宗禅洞寺がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
七条
しちじょう
京都市の東山区から下京区にかけての地区。京都市街の南部にあたり、中央に京都市の玄関口である京都駅があり、JR東海道本線、新幹線などのほかに近畿日本鉄道京都線、市営地下鉄烏丸(からすま)線が通じ、鴨(かも)川に架かる七条大橋の東詰に京阪電鉄本線七条駅がある。東山通から西京区に向かって東西に通ずる七条通は、平安京の七条大路にほぼ該当し、七条通の北には国立博物館、東・西本願寺がある。
[織田武雄]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
七条
しちじょう
インドの仏教教団で私有を許された三衣の一つ。上着を意味する鬱多羅僧 (うったらそう) uttarāsaṅgaのことであるが,それが七条の布でつくられたため,これを伝えた中国や日本では,製法にちなんで七条,あるいは七条衣と称した。僧団内の礼拝,聴講,懺悔などの集りに用いられた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報