世界大百科事典(旧版)内の三原浦の言及
【三原[市]】より
…【藤原 健蔵】
[三原城下]
沼田川河口の沖積平野に形成された城下町。中世,三原浦は塩の産地,鋳物師,刀鍛冶の拠点として知られていた。小早川隆景は中世の〈三原要害〉を中心に,1567年(永禄10)と82年(天正10)の両年を画期として三原城(玉壺城)および城下町の建設・整備を行った。…
※「三原浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…【藤原 健蔵】
[三原城下]
沼田川河口の沖積平野に形成された城下町。中世,三原浦は塩の産地,鋳物師,刀鍛冶の拠点として知られていた。小早川隆景は中世の〈三原要害〉を中心に,1567年(永禄10)と82年(天正10)の両年を画期として三原城(玉壺城)および城下町の建設・整備を行った。…
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