三宅 鉱一(読み)ミヤケ コウイチ

20世紀日本人名事典 「三宅 鉱一」の解説

三宅 鉱一
ミヤケ コウイチ

大正・昭和期の精神医学者 東京大学名誉教授



生年
明治9年3月24日(1876年)

没年
昭和29(1954)年7月6日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔明治34年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔明治42年〕

経歴
東大講師、助教授、東京府巣鴨病院副院長を経て、大正14年東大教授(精神病学講座担当)および東京府立松沢病院長。昭和11年退官、東大名誉教授。同年3月16日実業家堀越久三郎の寄付で東大医学部に脳研究所を開設、所長として17年まで在任。精神医学界の重鎮で、精神測定法など精神医学的研究法の発展に寄与した。著書に「精神病学提要」「医学的心理学」「精神鑑定例」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三宅 鉱一」の解説

三宅鉱一 みやけ-こういち

1876-1954 大正-昭和時代の精神医学者。
明治9年3月24日生まれ。三宅秀(ひいず)の長男。大正14年母校東京帝大の教授となり,東京府立松沢病院長をかねる。昭和11年同大医学部に脳研究所を開設し,17年まで所長をつとめた。昭和29年7月6日死去。78歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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