朝日日本歴史人物事典 「三宅国秀」の解説
三宅国秀
備中国(岡山県)蓮島の領主で,永正13(1516)年,琉球遠征を企てたが,薩摩(鹿児島県)坊津で島津忠隆によって討伐された,と伝えられる。この事件は,島津氏が捏造した虚構の事件であった。その目的は,三宅国秀の琉球遠征を阻止したと主張することによって,琉球に恩を売り,島津氏の要求する貿易の独占を琉球王府に承認せしめることを画策したのである。事件そのものは天文2(1533)年9月16日付で島津貴久の老中が琉球王国の三司官に送った書状の中で述べられている。<参考文献>田中健夫「三宅国秀の琉球遠征計画をめぐって」(『続荘園制と武家社会』)
(真栄平房昭)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報