三島路(読み)みしまのみち

日本歴史地名大系 「三島路」の解説

三島路
みしまのみち

奈良・平安時代、難波京から島下しましも郡を結んだ道路。「続日本紀」天平一六年(七四四)二月二四日条に、聖武天皇が難波なにわ(現東区)から三島路をとって近江紫香楽しがらき宮へ行幸したと記す。また元慶五年(八八一)前伊勢斎内親王が河陽かや(現京都府乙訓郡大山崎町)難波宮との間を往復した際に、その帰路水路(淀川)をとらず三島道によったという(「三代実録」正月一九日条)。この三島道は三島路と同一であろう。平城京造営直後の和銅四年(七一一)には淀川北岸の山麓東西に通る官道(山陽道)が建設されていた。したがって三島路は難波京から北へ進んで、この官道に合したものと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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