三津町(読み)みつまち

日本歴史地名大系 「三津町」の解説

三津町
みつまち

[現在地名]松山住吉すみよし一―二丁目・三津一―三丁目・梅田町うめだまち神田町かんだまち元町もとまち

松山平野の北西平坦部に位置し、伊予灘に臨む湊町。東は古三津ふるみつ村、南は山西やまにし村、北は新浜しんはま村に接する。古代は海であったというが、海辺部が遠浅であったため、埋立によって町域が拡大した。

近世村落成立の時には、西方の海岸地区に漁家が散在する普通の郷村であったが、慶長八年(一六〇三)一〇月に、加藤嘉明家臣とともに伊予郡正木まさき(松前)から新城下町の松山に移った時、この地に船奉行所を置き、船場をつくったと伝えられる。それから三二年のちの寛永一二年(一六三五)に、松平定行蒲生忠知のあとをうけて松山に入部した時、この地に船手四〇〇戸と軍用船を整備し、これらを統率する船奉行を置き、さらにここに移住した町家を監督するため町奉行を配置した(松山叢談)。町奉行には、家臣石原十左衛門が任ぜられた記録(「三津浜郷土史年表」所載)がある。このとき同時に船奉行も置かれていたと推定してよいであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android