三軒屋町(読み)さんげんやちよう

日本歴史地名大系 「三軒屋町」の解説

三軒屋町
さんげんやちよう

[現在地名]大正区三軒家東さんげんやひがし二―六丁目・千島ちしま一丁目

三軒家川に沿う南北に細長い町で、もとは勘助かんすけ島の堤外の荒地であった。元和年間(一六一五―二四)難波なんば(現浪速区)の漁師助右衛門ほか二名がこの地に移住、三軒の家屋を建てて漁業を営んだが、のち開墾・発展し、三軒屋村とは別に三軒屋地子と称するようになった。元禄郷帳には三軒屋村が二村記され、享保二〇年(一七三五)摂河泉石高調でも二村みえる。高六二石余の三軒屋村が当町である。天保郷帳には三軒屋町とある。開発以来幕府領。


三軒屋町
さんげんやまち

[現在地名]鳥取市本町ほんまち五丁目・茶町ちやまち

本町四丁目の北西鹿野しかの往来を挟んで続く両側町。三軒屋ともいう。元和五年(一六一九)城下町拡張に伴う町割のとき、町人地四〇町のうち下構二〇町の一町として起立された。町名は町割のとき民家が三軒あったことに由来する(因幡志)。「鳥府志」は町割のとき下構は上構に比して人家が乏しかったため、三軒の町屋をもって一町を立てたものかと推測している。ただし当町の大部分武家屋敷が占めていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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