日本歴史地名大系 「三里浜砂丘」の解説
三里浜砂丘
さんりばまさきゆう
「越前地理指南」に「新保浜ヨリ浜住村迄を三里浜と云リ、此行程二里廿九町、幅九百間アリ、塩焼ク所也」とあり、「帰鴈記」は「
慶長三年(一五九八)七月一五日付越前国西方塩浜御検地帳(広浜家文書)の「塩浜」は当砂丘をさし、これには
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
「越前地理指南」に「新保浜ヨリ浜住村迄を三里浜と云リ、此行程二里廿九町、幅九百間アリ、塩焼ク所也」とあり、「帰鴈記」は「
慶長三年(一五九八)七月一五日付越前国西方塩浜御検地帳(広浜家文書)の「塩浜」は当砂丘をさし、これには
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
福井県北西部、九頭竜川(くずりゅうがわ)河口左岸以南に形成された砂丘。南北10キロメートル、南端は丹生(にゅう)山地で限られる。最大幅約1.5キロメートル、最高点43メートル。国道305号により西側の外側砂丘と東側の内側砂丘に分けられる。飛砂の被害が大きく、文政(ぶんせい)年間(1818~1830)から砂丘を固定化する植林が始まった。しかし、耕地が狭く、黒目(くろめ)、米納津(よのづ)の「てぐす」行商、棗(なつめ)地区の杜氏(とうじ)など出稼ぎ地域であった。1918年(大正7)ごろからラッキョウの栽培が行われ、全国一の産地になった。1971年(昭和46)以来掘込み式の福井港と臨海工業地帯が造成中で、砂丘の地形も農業も大きく変貌(へんぼう)している。
[木下昭三]
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