上三川城跡(読み)かみのかわじようあと

日本歴史地名大系 「上三川城跡」の解説

上三川城跡
かみのかわじようあと

[現在地名]上三川町上三川 大町

鬼怒川西岸の段丘状台地縁辺にある。延元四年(一三三九)三月二〇日の北畠親房御教書写(結城文書)に名がみえ、南朝方の春日顕時(顕国)により矢木岡やぎおか(現真岡市)益子ましこ城が陥落したため、同年二月桃井直信らは当城を放棄している。建長元年(一二四九)宇都宮氏一族の横田頼業の築城という。頼業は宇都宮頼綱次男で、嘉禎三年(一二三七)に河内郡横田よこた(現宇都宮市)に築城したが、宇都宮氏の勢力伸張に応じ当城を築き移ったという(下野国誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android