上伊勢村(読み)かみいせむら

日本歴史地名大系 「上伊勢村」の解説

上伊勢村
かみいせむら

[現在地名]姫路市林田町上伊勢はやしだちようかみいせ

大堤おおづつみ村の南に位置し、大津茂おおつも川の上流域に立地する。「播磨国風土記」揖保郡林田里の条にみえる伊勢野は現林田町上伊勢・同町下伊勢が遺称地とされる。同書によると、この野に移住者が来るたびに妨害をする神がいたため、衣縫の猪手、漢人の刀良らの祖が当地に伊勢津比古命と伊勢津比売命を祀ったところ、静安になり、里をなすことができたという。

天正八年(一五八〇)九月一日の羽柴秀吉判物(黒田文書)揖東いつとう郡「伊勢村上下」とみえ、黒田孝高は同村上下一千一〇〇石など都合一万石を与えられている。同九年三月一八日の羽柴秀吉知行方目録(同文書)には伊勢上下九二〇石とある。同一五年九月二四日には木下家定が伊勢村一千石などを宛行われている(「豊臣秀吉知行方目録」木下家文書)


上伊勢村
かみいせむら

[現在地名]東伯町上伊勢

下伊勢村の南に位置し、村の中央を東西八橋やばせ往来が通る。永正一七年(一五二〇)一〇月五日の松室秀綱書下(池本家文書)に「伯州八橋郡上いせ御宮」とみえる。上いせの宮(現方見神社)は伊勢大神宮とも称された天照皇大神宮のことで、地名は同宮の社領であったことにちなむといい、慶長六年(一六〇一)九月二三日の道家長右衛門等連署書状(同文書)に「八橋上いせ之大神宮領」とみえる。藩政期の拝領高は二一六石余、本免は四ツ八分。藪役銀一四匁・川役米一石を課されていた(藩史)。津田氏の給地で(給人所付帳)、天保三年(一八三二)山林は一畝余(藩史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

メタン

化学式 CH4 。最も簡単なメタン系炭化水素で,天然ガスの主成分をなしている。また石炭ガスにも 25~30%含まれる。有機物の分解,たとえばセルロースの腐敗,発酵の際に生成され,沼気ともいわれる。また...

メタンの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android