上大塚村(読み)かみおおづかむら

日本歴史地名大系 「上大塚村」の解説

上大塚村
かみおおづかむら

[現在地名]藤岡市上大塚

あゆ川が西境を北流し、東は藤岡町、南は鮎川村、北は中大塚村と接する。北部を下仁田しもにた道が東西に抜ける。古くは上・中・下の大塚村は一村で大前おおさき村と称したといい、一帯高山たかやま御厨内で大塚郷と称された。永禄六年(一五六三)五月一〇日に武田信玄との申合せによって安保氏に与えられた地に「上大塚郷小林右京亮分」「上大塚発□」がある(「北条氏康・氏政連署知行宛行状」安保文書)

上大塚村
かみおおつかむら

[現在地名]龍ケ崎市大塚おおつか

小野おの川右岸の台地にあり、東は下大塚村。正保年間(一六四四―四八)以後下大塚村と分村と伝え(新編常陸国誌)元禄郷帳の村高は二七一石余。寛文年間(一六六一―七三)天領、のち小田原藩領となり(「助郷差村騒動御裁許写」飯島家文書)幕末は前橋藩領であった(各村旧高簿)。文政二年(一八一九)の下大塚村作柄見分願(関口家文書)には「上大塚村越石之百姓七軒潰」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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