上杉 茂憲(読み)ウエスギ モチノリ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「上杉 茂憲」の解説

上杉 茂憲
ウエスギ モチノリ


肩書
貴院議員,元老院議官,沖縄県知事

生年月日
弘化1年2月18日(1844年)

出生地
出羽国米沢(山形県)

経歴
最後の米沢藩主。慶応元年父の名代として京都警衛に当る。明治元年奥羽列藩同盟に従うが政府軍に降伏、のち庄内・会津に進撃し、謝罪降伏の実を挙げた。同年家督を相続、2年版籍奉還により同藩知事となり、4年廃藩と共に朝命により東京に移居。5年ケンブリッジ大学に留学。14年第2代沖縄県令に就任と同時に人材養成に力を注ぎ、県費留学制度を設けて東京に留学生を送った。この中から謝花昇、太田朝敷、高嶺朝教、岸本賀昌らが輩出している。書記官池田成章の献策もあって沖縄の実情調査を行い、県政改革、特に国税の超過徴収の軽減を中央政府に具申したが受け入れられず、16年県令を解任。奨学金3千円を沖縄のために寄付し、戦前の沖縄県知事の中では異例の民主的県政を行った県令として、現在でも沖縄では高く評価されている。16年元老院議官に就任。17年伯爵。23年貴院議員。著書に巡回視察記録「上杉県令巡回日誌」。

没年月日
大正8年4月18日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「上杉 茂憲」の解説

上杉茂憲

没年:大正8.4.18(1919)
生年:弘化1.2.28(1844.4.15)
明治時代の政治家。旧米沢藩(山形県)藩主。父は斉憲。母は磐。奥羽列藩同盟に参加したが,ほどなく離脱,明治1(1868)年12月,4万石を減封されて家督を相続。4年7月廃藩により米沢藩知事を免ぜられる。上京後は,戸田欽堂,浅野長勲らと共に「民権華族」として知られた。14年5月沖縄県令に任ぜられ,税制改革や地方役人削減を基本方針とした施策を進めようとしたが,旧慣温存政策をとる政府と対立し,16年4月,県令を解任され,元老院議官に任命された。17年,伯爵。23年,貴族院議員となる。<参考文献>米沢温故会編『上杉家御年譜』19~22巻

(西尾林太郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上杉 茂憲」の解説

上杉茂憲 うえすぎ-もちのり

1844-1919 明治時代の大名,華族。
天保(てんぽう)15年2月28日生まれ。上杉斉憲長男。明治元年出羽(でわ)米沢藩(山形県)藩主上杉家13代をつぐ。5年イギリスへ留学。14年沖縄県令,16年元老院議官。17年伯爵となり,23年貴族院議員。大正8年4月18日死去。76歳。通称は喜平次。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の上杉 茂憲の言及

【沖縄[県]】より

…《上杉県令巡回日誌》(1881‐82)は農民の貧困と悲惨な現実にふれ,県政改革を模索しはじめている。上杉茂憲は県庁役人の人員整理・縮小による財政再建をはかり政府に建白したが,政府は拒否して上杉改革案を葬り去った。先島の農民の場合は,もっと緊迫していた。…

※「上杉 茂憲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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