上杉景虎(読み)うえすぎかげとら

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上杉景虎」の意味・わかりやすい解説

上杉景虎
うえすぎかげとら

[生]天文22(1553).小田原
[没]天正7(1579).3.24. 越後
戦国時代の武将北条氏康の子。幼名は国増丸。初名は氏秀。武田信玄養子となったが,武田,北条の不和により帰国。次いで永禄 12 (1569) 年,北条氏康と越後上杉謙信和睦のとき,謙信の養子となり,謙信の幼名を受けて景虎と改名。天正6 (78) 年謙信の死後,同じく謙信の養子景勝家督を争い,景虎は上杉憲政の北河館に拠り,北条氏政に援軍を求めた。氏政は武田勝頼に出兵を求めたが,景勝が勝頼に通じ,勝頼は景虎援助を中止したため,景虎は孤立して敗退し,越後鮫ヶ尾城に逃れて自害した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上杉景虎」の解説

上杉景虎 うえすぎ-かげとら

1553?-1579 織豊時代の武将。
天文(てんぶん)22年?生まれ。北条氏康の7男。はじめ武田信玄の,元亀(げんき)元年越後(えちご)の上杉謙信の人質,のち謙信の養子となり,その姪(めい)(長尾政景の娘)と結婚。謙信の没後おなじ養子の上杉景勝と家督をあらそい(御館(おたて)の乱)敗北。天正(てんしょう)7年3月24日自殺した。27歳?相模(さがみ)(神奈川県)出身。初名は氏秀。通称は三郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の上杉景虎の言及

【上杉景勝】より

…安土桃山・江戸初期の大名。越後魚沼郡上田庄(南魚沼郡六日町)の領主長尾政景の子。1564年(永禄7)父の急死後,叔父上杉謙信の庇護をうけ,のち養子となった。幼名卯松,喜平次顕景,75年(天正3)景勝と改名。78年3月養父謙信が急逝すると遺言と称して春日山に拠り,前関東管領上杉憲政の御館(おたて)に拠る景虎(北条氏康の子で謙信の養子)と戦う(御館の乱)。最初は必ずしも有利でなかったが,翌年には景虎を倒し,翌々年には反景勝派を平定した。…

【御館の乱】より

…1578‐80年(天正6‐8),越後国で起きた戦乱。1578年3月,越後の戦国大名上杉謙信が急死すると,その跡目をめぐって上杉景勝と上杉景虎の2派が抗争した。景勝は同国魚沼郡上田庄の長尾氏出身で,上田衆とよばれる旧臣らに擁立され,景虎は生家の北条氏政らの後援と蒲原郡三条の神余親綱,古志郡栃尾の本庄秀綱など謙信旗本の一部有力者に支持された。…

※「上杉景虎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android