上桜城跡(読み)うえざくらじようあと

日本歴史地名大系 「上桜城跡」の解説

上桜城跡
うえざくらじようあと

[現在地名]川島町桑村 植桜

川島町と美郷みさと村を区切る山脈の北側中腹の標高一四二メートルの小突起上に築かれた山城跡。比高は一二二メートル。東側は急斜面となり、深い谷川に面している。一説によると南北朝時代には南朝方の川村氏が当城に拠っていたともいうが、詳細は不明。その後は細川氏・三好氏の有力被官であった篠原氏の居城となり、戦国時代には篠原長房(右京進、のち紫雲と号する)城主であった。城跡は山林や神社境内となっていて保存状態はよいが、南方部が昭和四九年(一九七四)国営麻植開拓建設事業(麻植開拓パイロット事業)による道路工事のために大きく破壊されている。県指定史跡。城は東西二つのなかば独立した遺構からなる。東方の遺構は山尾根上の小突起に築かれたもので、自然地形に沿って無理なく作っているが、西方の遺構は南方から北へ向かって下がっている尾根状の地形に構築している。また東方の遺構はそれだけで完結しているが、西方の遺構は南方と西方のみを防御するように築かれており、東方の城の弱点である西方尾根続きを防御するために後で新たに拡張したものと推測される。ここでは便宜上東方の遺構を古城、西方の遺構を新城とよぶ。

古城は全体に急斜面の山に築かれており、東西二段の曲輪とそれに付随する若干の遺構からなる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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