上豊浦村(読み)かみとようらむら

日本歴史地名大系 「上豊浦村」の解説

上豊浦村
かみとようらむら

[現在地名]安土町上豊浦

下豊浦村の南の平地にあり、集落は村域の北端に位置する。村域の一部が北西方に延び、同所を朝鮮人街道が横切る。下豊浦とともに中世豊浦庄として推移、安土城時代には一部が同城城下町に含まれた。文禄二年(一五九三)の御蔵入目録(芦浦観音寺文書)に「豊浦上村下村」とみえ豊臣秀吉直轄領。元和六年(一六二〇)仁正寺藩領となり、同藩領で幕末に至る。慶長七年(一六〇二)検地では高七一九石余、反別は上田二〇町七反余・中田一〇町七反余・下田五町八反余、上畑七町四反余・中畑一町一反余・下畑三反余・屋敷一町八反余(江南文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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