上赤埴村・下赤埴村(読み)かみあかばねむら・しもあかばねむら

日本歴史地名大系 「上赤埴村・下赤埴村」の解説

上赤埴村・下赤埴村
かみあかばねむら・しもあかばねむら

[現在地名]榛原町大字赤埴

高井たかい村東方の山村萩原はぎはら村から田口たぐち(現室生村)経由伊勢に至る伊勢本いせほん街道は当村を東西に貫通。また古市場ふるいちば(現菟田野町)から室生寺経由大野おおの(現室生村)に出る直線的古道との交差点である。「万葉集」巻七に「倭の宇陀真赤土まはにのさ着かばそこもか人の吾を言なさむ」とある。中世には赤埴庄があり、また関所があった。

近世初期は一村の赤埴村で、慶長郷帳の村高三四〇・四石。慶長六年(一六〇一)松山藩(福島高晴)領。寛永一六年(一六三九)から元禄一五年(一七〇二)までに二村に分割、上赤埴村(村高一五〇・八六二石)、下赤埴村(村高一八九・五三八石)となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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