日本歴史地名大系 「上関御茶屋跡」の解説 上関御茶屋跡かみのせきおちややあと 山口県:熊毛郡上関町上関村上関御茶屋跡[現在地名]上関町大字長島上関海峡に臨んだ瀬戸の高台にあった萩藩の御茶屋。徳川氏が朝鮮との国交を回復して以降、将軍の代替りには朝鮮信使が来朝したが、毛利氏は赤間関(あかまがせき)(現下関市)と上関の両別邸に御茶屋を置き、儒者を派遣してこれを接待した。正徳元年(一七一一)将軍徳川家宣が襲職の時正使趙泰億ら四九四人が来朝、その後、当御茶屋には享保四年(一七一九)、寛延元年(一七四八)、明和元年(一七六四)の三度にわたって信使を接待した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報