上青木村(読み)かみあおきむら

日本歴史地名大系 「上青木村」の解説

上青木村
かみあおきむら

[現在地名]川口市青木五丁目・中青木なかあおき五丁目・上青木一―六丁目・西青木にしあおき五丁目・上青木西かみあおきにし一―五丁目・前川まえかわ一丁目・前上町まえかみちよう・上青木町

下青木村の北に位置する。東部しば川対岸のつじ(現鳩ヶ谷市)に至る道が東西に通り、同川には天神てんじん橋が架かる(風土記稿)。当地の日蓮宗宗信そうしん寺所蔵の正応四年(一二九一)銘の孔雀文磬に「上青木」とある。田園簿では田五九二石余・畑一三四石余で、ほかに野銭永三四六文がある。江戸時代を通じて幕府領であったと思われる(田園簿・改革組合取調書など)

上青木村
かみあおきむら

[現在地名]城島町上青木

筑後川下流左岸に位置し、西は四郎丸しろうまる村、南は下青木村、北は江島えしま村、東は江上本えがみほん村。中世青木庄が成立。近世初頭は当村・下青木村など一帯は青木村と称された。天正一五年(一五八七)一〇月一三日の立花統虎坪付(水田天満宮文書)三潴郡のうち青木庄七六町がみえる。翌一六年一二月二〇日、大鳥居信寛は青木之庄上村のうち六町を担保に小野和泉守から銀子二三三文を借りている(「大同院信寛質券」小野家文書)。文禄四年(一五九五)の知行方目録に青木村がみえ、高二千三九一石余・葭方八六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android