上高末村(読み)かみこうずえむら

日本歴史地名大系 「上高末村」の解説

上高末村
かみこうずえむら

[現在地名]矢掛町上高末

下高末村の北、南流する美山みやま川の中流域に位置する。西は大倉おおくら(現美星町)など。かつては下高末村と一郷であった(文政二年「庭瀬藩領村明細帳」石井文書)。寛永備中国絵図には上高津江村とみえ、高六〇〇石、旗本小笠原領。正保郷帳でも上高津江村とあり幕府領、枝村にかみ村・中村・下村麦草むぎくさ村・田中たなか村が載り、麦草は現美星びせい町麦草と考えられる。近世、表記は上高津江・上高末が混在した。天和三年(一六八三)一部(高一三石余)が旗本撫川戸川領となる(前掲庭瀬藩領村明細帳)。元禄二年(一六八九)の備中国幕府領村々覚帳(福武文書)では新検高四五九石余(高一一石余は戸川領)、田方三二町九反余・畑屋敷一一町二反余、居林・草山・藪七四町六反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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