日本歴史地名大系 「下八釣村」の解説
下八釣村
しもやとりむら
慶長郷帳には「下矢取」、寛永郷帳には「下八鳥」とみえる。当時の村高は二一一・五九石であったが、郡山藩の二割半無地高増政策で村高二六四・四八八石となる。延享元年(一七四四)の村明細帳(区有文書)では家数二一、人口一一八(男五五、女六三)、牛四とみえ、表作は旱損地が多いので四分半(四五パーセント)を綿作にあてている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
慶長郷帳には「下矢取」、寛永郷帳には「下八鳥」とみえる。当時の村高は二一一・五九石であったが、郡山藩の二割半無地高増政策で村高二六四・四八八石となる。延享元年(一七四四)の村明細帳(区有文書)では家数二一、人口一一八(男五五、女六三)、牛四とみえ、表作は旱損地が多いので四分半(四五パーセント)を綿作にあてている。
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